それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

迷走と夢中の途中。

 夕暮れ 走るマラソンランナーのフリー素材・無料の写真 | 1920 x 1280| ピクト缶

 

10月に入って、曇りの日が増えて、

 

台風14号はなんとか、いわきからは逸れて、

 

でも、一日曇りと小雨が降り続けていて

 

気圧差なのかどうなのか、

 

最近はいつもと変わらない、仕事量だったり

 

するんだけども、

 

なんとなく疲れたなぁと、

 

思うことが多くて、

 

気晴らしに、温泉とか、

 

本を読む時間を増やしたりとか、

 

気を紛らわすようなことを、

 

多くしている日々で。。。

 

最近は休憩することの大切さを、

 

わかってきていて、

 

体力のない自分を、受け入れながら、

 

ブログでも書くかと、

 

ふと、思いついてしまったわけで。。。

 

自分の傾向として。。。

 

自分の性格として、今まで気づかなかった部分だけども、

 

どうしても、物事を合理的に考えてしまっている、

 

癖があって、

 

今年に入るまでは気づかなかったんだけども、

 

今あるものをどうしたら、

 

活かせるんだろうか。。。

 

みたいな、

 

今やっていることをベースに物事をどんなふうに

 

進めていければいいのか、

 

と、

 

効率最優先みたいな、

 

自分の良いところでも、

 

悪いところなんだなあ、、、と

 

思うことがつくづくあって、

 

必要最低限のことだけに、

 

目が向いてしまうあまりに、

 

他の部分を、おろそかにしてしまうことが

 

とても多くあるんです。。。

 

(具体的な話はまた今度で。。。)

 

これからの自分はどうしたいんだろうか??

 

それで、そういう合理的な性格の自分は、

 

最終的にはどうなっていたいんだろうか?

 

と、いわば、ゴールがあやふやになっていて、

 

合理的な性格ではあるんだけども、

 

やりたいことがたくさん、ある自分という、

 

いわば、矛盾の塊が自分に押し寄せていて、

 

介護現場での、リハビリというものの中に、

 

おもしろさをすごく感じている自分。。

 

それと、

 

ずーっと言い続けてきた、

 

アメリカに留学して、

 

アスレチックトレーナーの資格をとって、

 

アメリカで働きたい、という、

 

そこにチャレンジをしたい、

 

と、思っている自分の、

 

せめぎあいの中で、

 

結局自分はどうなっていたいんだろう?

 

という本質的なところの、

 

問いの答えみたいなものが、

 

出せていない自分がいて、

 

いわばブレブレの自分が、

 

なんというか、それぞれの意見を交わしているような、

 

そんな状況でして。。。

 

本質的な答えとは。。。

 

んで、自分なりに考えていることではあるんだけど、

 

前までの自分は、

 

なにか、大きなことをやりたい、

 

とか、ほめられたいだとか、

 

そんな承認欲求みたいなものを、

 

求めていた自分がいて

 

(今でも、承認欲求みたいなものはあるんだけども。。。)

 

そんなわけで、

 

なにかかっこいいことをしたいとか、

 

すごいと思われたいだとか、いう

 

自分がなにに満足するかという基準より

 

他者のものさしに自分がぶれてしまうような、

 

そして、どんなやり方がいいのだろうか、という

 

方法論みたいなところばかりを

 

考えていたんですね。。。

 

(書いていて恥ずかしいですが。。)

 

だから、自分がどんな状態のときが幸せなのか、とか、

 

なにに、満足をしていて、

 

どんなことはしたくない、とか、

 

大事なことは、自分がどんな状態になっていたいのか

 

そんなことをベースに物事に取り組んでいなかった。

 

から、方法論みたいな、

 

他者の評価軸で、進んでいたんだろうなぁ。。。

 

んで、その本質的なところとは。。。

 

それで、その、本質的な状態を考えた時に、

 

ほんとうにシンプルで、

 

自分自身は

 

①物事に夢中になっていたい。

 

②ありがとうと言われたい。

 

③好きな人と仕事をしていたい。

 

特に上2つが自分にとっての、幸せの本質で、

 

その本質が満たされているのであれば、

 

なにをやっていてもいいなぁと、

 

最近、考えにふけっていたわけであって。。。

 

”夢中になれている状態”こそ、本当の意味の夢になるんじゃないのだろうか。

 

夢を持ちなさい、とか、

 

やりたいものがなきゃだめよ。とか、

 

欲がないんじゃだめだよ。

 

とか、言われることもあるとは思うんだけど、

 

個人的には少し違うなぁ、

 

と、思っていて、

 

続けていたら、それが、やりたいこと、

 

になることが大切なんじゃないのかと。

 

無理やりつくるものでは、なくて、

 

こう、自然発生していくような、ナチュラル的な、

 

そんな、モノなんじゃないだろうか。

 

夢っていうものは

 

自分が心のそこから満たされているような、

 

状態や概念みたいな

 

そんなもんじゃないのだろうかと思っていて

 

○千万、〇億稼いでいる、とか、

 

そういう可視化できるものを、

 

夢みたいなものにしても、

 

結局、欲しいものみたいなものはどんどん、増えていくもんで。。。

 

もので満たされるのは一瞬なわけ、と、

 

結局可視化できるものは目標になるだけで、

 

夢とは別の話。

 

と、おもっている。。。

 

子供たちにも、

 

そこに気づかせることこそが自分たち、

 

大人の役割であって。。。

 

(わたしの年齢は27歳。こころは中学生ですが)

 

目標を持ちなさいではなくて、

 

その目標をかなえた先には自分がどんな状態になっていたいのか、

 

それを伝えてあげることがだいじなのかなぁ。。。

 

人生に対しての無気力感と、むなしさとか、

 

そういったものを

 

減らせるんじゃないかと。。。

 

 

それで自分の価値観と向き合わないあまりに、 

 

夢というものを

 

他者の物差しでつくってしまう、

 

無理やり作ってしまうあまりに、

 

今目の前にやっていることをおろそかにしてしまっていたり、

 

目標をかなえてしまったあとの、

 

完全燃焼後の無気力的な、

 

していたら、いわば、

 

自分と向き合うことから、

 

かけ離れてしまう状態に

 

なってしまうんじゃないだろうか。

 

結局なにを言いたいかというと、

 

やっていることは関係なくて、

 

自分の価値観と向き合って、

 

なにか夢中になっている状態を作り出すこと、と、

 

自分の満たされれている概念的なものをかなえるために

 

チャレンジしていることこそが、

 

人生を有意義なものにしていくものでもあるのかなぁ、と。

 

 夢を実現するための鍵は、成功することではなく、

 

その意義について目を向けること。

 

そうすれば、

 

過程における小さな一歩、

 

小さな成功が大きな意味を持つことになるわ。

 

オプラ・ウィンフリー

 

 

そんなことを書いていて、

 

考えがころころ変わってしまう自分に、

 

自分自身が困ることがたくさんあるんだけども、

 

こいつは、なにか夢中になっていたいんだろう

 

と、言う目で見ていただければ。。。

 

結局、迷いながらも夢中になって進む。。。

 

そうなってしまう。。。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。