それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

ないものねだり

 ドレッドヘア|シルエット イラストの無料ダウンロードサイト ...

 

私は自分の髪の毛がコンプレックスである。

 

私は、中学、高校の時は野球部に入っていて、

 

だいたい、6年間は、

 

ずーーっと、髪の毛は坊主で、

 

中学の野球部では、たくさん、部員同士や

 

試合中のミスやらなんたらで、

 

問題を起こし続け、

 

問題を起こすたびに、

 

部員内で反省の証として、

 

髪の毛を五厘にしていた。のを覚えている。

 

ひどいときには、月に一回は

 

五厘にしていたんじゃないかって、いうくらい、

 

たくさん坊主にし、

 

頭がなかなか、黒くなっていかなかった記憶がある。

 

ほんとうに髪の毛がちりちりなのは、全部、坊主のせいなのか。

 

私は、髪の毛がちりちりである。

 

小学生の時から、前髪が伸びなかった。

 

そして、髪の毛が伸びないのは、

 

父親がちりちりの天然パーマのせいだから、

 

でも、ある。

 

だから、

 

父親の天然パーマ+6年間の坊主生活というのは、

 

私の髪の毛にとっては、

 

相当ダメージになった。

 

『遺伝』と『野球部における環境的な要素』

 

それと、シャンプーしかしてこなかったという

 

たくさんの要因が絡み合った結果

 

髪の毛が、

 

ちりちりになったんだと思う。

 

周囲の言葉から自分のコンプレックスになっていった。。。

 

高校の時のあだ名が、

 

髪の毛が天パであったたため、

 

わかめであった

 

私もネタだと思って、

 

自分からも、これを、笑いに変えるようにはしていたが、

 

内心は天然パーマであることを気にしていた。

 

わかめであることが、自分にとってのアイデンティティではなく、

 

コンプレックスだったということを認識した瞬間だったんだと思う。

 

初めて、初めて、髪の毛に縮毛をかけた。

 

今まで、小学生の時までは、1000円カットですまし、

 

坊主で眼鏡だった、

 

中学、高校は、バリカンを使い、続けた。

 

私は、あえて、高校在学中ではなく、

 

大学入学式直前に、

 

初めて縮毛をかけた。

 

これが、私にとっての、人生においても、

 

大きな転換期になったと思う。

 

同じ野球部員で縮毛をかけたやつもおり、

 

そいつが失敗をしていたのを見ていて、

 

在学中に笑われるのを避けるために、

 

あえて、卒業後にやったのを覚えている。

 

美容室に行ったときに

 

自分も失敗するのかもしれない、

 

と、動悸が、鼓動が止まらなくて、

 

美容室で、恥ずかしながら、必死に

 

どうしようか、苦渋の決断をして、

 

『縮毛をかけてください。。。』

 

といった記憶がある。

 

 縮毛をかけたあとの未来は、、、

 

髪の毛を縮毛にして、新しい自分はまた違う自分になれたような気がした。

 

でも、最初は、そこそこ、似合うねという反応をもらうくらいで、

 

徐々に、髪の毛はチリチリになっていく。

 

そして、また、縮毛矯正をかけにいって、髪の毛はまっすぐにし、

 

またまた、髪の毛はちりちりになっていく

 

というサイクル。。。

 

縮毛をかける瞬間はなんか、自信がつくけども、

 

髪の毛がちりちりになる瞬間は自信がつかない、という、

 

一種の麻薬のような、そんな、

 

感覚だったのかもしれない。

 

たくさん経験する、ということは実は、今いる場所が一番ということに、いきつくための過程なのかもしれない。

 

いろいろな国を旅する。

 

たくさんの仕事を経験してみる。

 

たくさんの人たちとお付き合いしてみる。

 

いろいろな髪形にしてみる。

 

たくさんの経験をしてみたけど結局、、、

 

日本に住むのが良いな。

 

地元に帰るのが良いな。

 

最初に始めた仕事が自分にあってたな。

 

最初に付き合ってたような人が一番続いたな。

 

最初の髪形が、一番自分にあってたな。

 

と、たくさんの経験が、最初にいた場所が実は一番幸せだったな。

 

 と気づかせてくれるのかもしれない。

 

 だから、自分のいまいる場所に気づくためにも、

 

自分が責任をとれる範囲なら、

 

一度いろいろな経験をするのは、私はありだと思う。

 

だから、過去嫌いだった、自分の天パが、

 

まっすぐの人にはない、ものがあって、

 

そういう人たちの目線からみると、良い面もあって、

 

そんなことを、気づいていくのが自分は恵まれているのかな。と、

 

受容していくことなのかもしれない。

 

父よ、、髪の毛がちりちりで

 

ありがとう。。。感謝