それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

あのひと、認知症だから。

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私はデイサービスでリハビリという立場で、

 

働いているんだけども、

 

午後のリクリエーションをする前に、

 

20人~30人ほどの、

 

利用者さんの前で、

 

体操をやることが多い。

 

その時に、かならずといって

 

良いほど、

 

認知症』の診断がついている、

 

それと、

 

その疑いにある人達が、

 

「つかれるからやらない」

 

とか、

 

「窓あけてっと寒いか閉めて!」

 

とかとか、

 

挙句の果てには、

 

急に立ち上がって、みたりとか、

 

脈絡のないことを大きな声で、

 

言ってみたりとか。。。

 

こころに余裕のあるときは、

 

笑い飛ばせるんだけども、

 

時間に追われていたりとか、

 

体調が思わしくないときは、

 

いらっとしてしまったりすることが、

 

あって、

 

やっぱり、

 

いらっとすることっていうのは、

 

自分の常識の範囲を超えること、

 

自分の物差しみたいなものでは、

 

その人たちの感覚がわからないから、

 

そもそも、

 

そのような人たちって、

 

どのように考えてんだろうって、

 

疑問に思って、

 

一冊の本を読んでみたんです。。。

 

医師、長谷川和夫とは

 

著者の長谷川和夫医師は、

 

認知症』の診断の物差し、となる、

 

長谷川式簡易スケールを開発した、

 

認知症医療と、ケアの第一人者として、

 

知られる、長谷川和夫先生で、

 

『痴呆界の長嶋茂雄のような、存在。

 

認知症と名付けたのも、

 

長谷川先生で、

 

そんな、認知症の専門学医、

 

自身が

 

認知症になった立場で、

 

本を執筆され、

 

認知症になった人の気持ちが、

 

ありのままに、

 

綴ってあります。

 

認知症とはそもそもなんだろうか。

 

認知症の定義としては、

 

『青年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態』

 

認知症でも、原因と症状というのは、様々で、

 

大きくわけると、

 

アルツハイマー認知症

原因:脳内に異常タンパクがたまって、血流が行かなくなってしまい起こる。

症状:昔のことは覚えているが、最近のことは忘れてしまう。緩やかに進行。

 

②脳血管性認知症

原因:高血圧や糖尿病などの生活習慣病

症状:脳血管障害によって、引き起こされる。障害部位によって症状は様々。

 

レビー小体型認知症

原因:レビー小体という異常タンパクがたまり、脳神経細胞が破壊されて起こる。

症状:幻視、幻聴、手足のふるえ、筋肉が固くなるなどパーキンソン病と似た症状。小刻み歩行で転びやすくなる。

 

④前頭側頭型認知症

原因:前頭葉、側頭葉の委縮。

症状:怒り易くなったり感情の抑制がきかない。ルールが守れないなど社会性低下など。

 

 他にも、

 

 MCI(軽度認知障害)といって、

 

日常生活に障害をきたしていないけども、

 

認知機能機能が低下している人のことで

 

2012年に認知症の診断を受けたのが462万人に対して、

 

MCIの人は400万人とされているとのこと。

 

長谷川和夫医師は、嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせいにんちしょう)といって、

 

進行は比較的緩やかで、物忘れのほか、怒りっぽくなると、

 

言われているようです。

 

認知症の本質は、今までどおりの日常生活が送れないようになること。

 

やはり、先生自身も、

 

自分言っている言葉が、

 

時折、

 

はちゃめちゃになったりしているようで、

 

読売新聞編集委員の猪熊律子さんと、

 

共同で、執筆にあたっている。

 

長谷川先生、曰く、

 

人間の本質は変わることなく

 

昨日の連続の中に今の自分がいて、

 

好きな読書も、音楽も、絵も、

 

変わらない。

 

ただ、

 

1日のなかで、

 

朝は調子が良くて、

 

昼から夕方になってくると、

 

疲れて、頭に入らなくなって、

 

足も動かなくなってきたり、

 

言われたことを忘れてしまう、

 

でも、

 

人格は突然変わらないし、

 

昨日と連続した、

 

今日の自分が、

 

居続けていて、

 

人間の本質は、

 

今も昔も同じで変わらない。と。

 

でも、少しずつ、

 

足が動かなくなってきたり、

 

記憶が飛んだり、

 

確かなことに疑いを感じたり、

 

苦しい、つらいと思うことが増えて

 

生活を送りにくくなっているんだ、と綴られていた。

 

記憶がなくなっていくことがなによりも怖い。

 

私は昨日の記憶が確かであると、

 

認識している。

 

10分前に話したことも、

 

すべて自分の記憶が確かだという、

 

世界の中で生きていけている。

 

でも、認知症の人たちは、

 

その文脈というものが損なわれていて、

 

その苦しさの中で生きている。

 

毎朝起きた時に、

 

知らない人に声をかけられて、

 

知らない人が自分の名前を知っていて、

 

知らない環境に囲まれている。

 

わたしは記憶の中で自分というものを認識できていて、

 

好きな人や、

 

好きな場所とか、

 

そんなものを選べている。

 

そして、その中で

 

生き続けることができていて、

 

それも記憶というもののおかげ。

 

そして、その、記憶という名の経験があるから、

 

成長ができている、

 

という実感につながっているのかもしれない。

 

記憶があるから意味がみつかるんじゃないか。

 

多分、あたりまえなのかもしれないけど、

 

いま、自分には

 

過去の記憶がある。

 

ということはあたりまえで、

 

過去、私がいじめられた経験も、

 

高校受験の志望校に落ちた経験も、

 

野球でうまくいかなかったことも、

 

昨日の食べたごはんも、

 

さっき読み終えたこの本も、

 

すべて、過去起きたことすべてに、

 

意味付けができているから、

 

今の自分がいる。

 

なりたい自分になろうと、

 

ありたい自分であろうと、

 

思えている。

 

これからも

 

頑張ろうと思えている。

 

生きているという実感がある。

 

でも、認知症の人たちは、

 

家族と話したこと、も、名前も、

 

過ごした時間も、

 

隣人との会話も、

 

過去好きだった趣味も、

 

その瞬間、事象を覚えていることもできなくなる、

 

意味を持つことが出来なくなる。

 

今から見た過去がいなくなっていく。

 

だから、自分が今なにをすればいいか、

 

わからなくなる。

 

記憶がなくなることは、

 

今この瞬間、なぜ、なんのために、

 

自分は生きているのか

 

わからなくなる。

 

そんな感覚を知ろうと、

 

することができたら、

 

記憶がない人たちの言葉や、

 

恐怖に、

 

耳を傾けられるし、

 

共感もすることが

 

すこしでも、できるのかもしれない。。。

 

ボクが認知症であることを公表した理由は

 

「自分自身がよりよく生きていくため」

 

といってよいだろうと思います。

 

自分が生きているあいだに、

 

人さまや、社会のために、

 

少しでも役に立つことをしたい。

 

役に立てるかどうかはわからないけれど、

 

認知症のありのままを伝えたい。

 

それが生きていく道だと思ったのです。

 

 

 認知症なんてものはただの言葉であって、

 

ひとくくりにできるようなものではない。

 

すべての人は自分とは違う経験をしてきた人間、

 

記憶があるなしとか、

 

そんなことではなくて、

 

一人の人間として、

 

そんな、人たちの世界観を共感していけたら。。。