それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

自分軸とはなんだろうか

価値観の写真素材|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

いわきの気温は今日も高くて、

 

「あづいな~~~、今日も~~」

 

なんて、窓を開ければそんなことを、

 

心の中ではつぶやいてしまっていて、

 

でも、最近は、急に暑くなった気温とともに、

 

身の回りの状況が大きく変わっていて、

 

ちょいと忙しい毎日だったんだけども、

 

今日はちょっと落ち着いて、

 

自分で作った、お気に入りのデスクの上で、

 

一息つきながらも、

 

日差しぶりにブログでも書くかと、

 

カタカタと、

 

涼しい部屋の中で、

 

文章を書いている、今日この頃で・・・

 

自分軸とはなんだろうか

 

先日、職場の同僚と、

 

2人で、酒を吞みながら、

 

自分軸とはなんだろうかと、

 

そんな話をしていたんだけども、

 

軸のある人とはなんだろうかみたいな、

 

そんな話しをしていて、

 

そういえば、最近は、

 

軸なんて考えずに、

 

目の前にあることに意味を見つけて

 

それをこなしていく、みたいな、

 

そんな日々を過ごしていたな、なんて、

 

ふと思ったわけで・・・

 

それで、自分軸とはなんだろうか

 

坂本龍馬は、日本を外国から守るために、

 

当時の常識は、武士は刀を持つことを、

 

それで戦うことを美徳と考えていたけども、

 

それに捉われずに、ある日は、サーベルをもって、

 

これからの時代はサーベルぜよと、謳った。

 

でも次あったときは、サーベルではなく、

 

鉄砲ぜよ、と、変わった

 

そして、明くる日は、

 

六法全書を持ってきて、これからの時代は法だと謳った。

 

一見ぶれているかもしれないけど、

 

坂本龍馬は、

 

日本を守るためには、海外から日本を守りたい

 

そんな信念から、方法論にとらわれずに、

 

自分の思考を、やり方というものを、

 

柔軟性を持って変えることで、

 

当時の常識を跳ね返して、

 

薩長同盟大政奉還明治維新の、

 

大きな立役者に、なった。

 

そんなことを考えると、

 

自分軸っていうのは、

 

ひとつのやり方、方法論にこだわるんじゃなくて

 

自分の信念的な、思想に沿って、

 

柔軟にやり方、方法を変えられること、

 

そんなもんなのかもしれない。

 

人を喜ばせることができるのであれば、なんでも良い

 

身体を良くしたいと思って、理学療法士の免許を取った。

 

海外に行って、スポーツチームで働きたいと思って、

 

テキサスレンジャースにアスレチックトレーナー研修に行った。

 

英語を話せるようになりたいと思って、

 

英語を勉強した。

 

家具を作れるようになりたいと思って、棚とかデスクを作ってみた。

 

文章で誰かの力になりたいと思って、ブログを書いてみた。

 

予防をもっと広めたいと思って、

 

加圧トレーナーの資格をとった。

 

一見、たくさん、ぶれてるように見えるけど、

 

自分のなかでは、

 

誰かの役に立ちたい

 

自分には誰かを喜ばせることができるなにかがあるはずだ

 

そんなことを、考えながら、

 

後付けなんだけども、

 

誰かを喜ばせることができる人間でありたい、と、

 

そんなことを自分の軸にして、

 

これからもやっていこう。。。

 

人よりも一尺高くから物事を見れば、

 

道はつねに幾通りもある。

 

 

 

 人とは違うことをする。そんな自分でいる。

 

あまのじゃくなのか、どうなのか、

 

NEW NORMALに生きていこう。

 

だれかの喜びの裏には悲しみがある

無料写真素材|人物|女性|泣く・涙|モノクロ画像素材なら!無料・フリー写真素材のフリーフォト

 

ごくたまーになんだけども、

 

まぁ、

 

月に1回くらいは、

 

眠れないときがあって、

 

そういう時に限って、

 

眠ろうと無意識に何も考えないように、

 

してしまっている

 

自分がいて、

 

昨日がそんな日で。。。

 

まぁ、そういうときは、

 

目を閉じているだけで、

 

頭はずっと覚醒していて、

 

たくさんの思考が、

 

ジェットバブルみたいに、

 

ぶしゃーなっている感じで

 

で、気づいたら、朝になっていて、

 

眠ったんだか、眠れていないんだか、

 

そんな感じで、

 

でも目覚めは良いもんで。

 

だれかの喜びの裏には悲しみがある

 

時々考えることがあって、

 

自分がなにかうれしいことだったり、

 

楽しいことがあったりすると、

 

なぜか、そこには、

 

だれかの悲しみがあるんじゃないかと、

 

感じることが、

 

自分の中にあって。

 

そんなことを考えたりすると、

 

ほんとうに自分は楽しんでいいんだろうか、

 

とか、

 

だれか迷惑をかけていないんじゃないか

 

とかとか、

 

こう、

 

一瞬自分の感じた感情を、

 

ふと、

 

冷静に、

 

客観的に見てしまう自分がいて。

 

そんなことをいっていて、

 

この感覚を

 

わかってくれる人なんて、

 

まぁ、

 

いるわけないと、

 

悟っているんですけど。。。

 

世界中をみてみると。。。

 

今、私は日本という、

 

生まれた時点で、

 

勝ち組といわれている、

 

ごはんも、住む場所も、家も、インターネットも、

 

整っていて

 

生きる上で、

 

世界中の人間のなかでも、

 

裕福な国にいて、

 

でも、その逆に、

 

生まれた環境が、

 

貧困、内戦、汚染、過労で、

 

あふれている国もある。

 

でも、それも、

 

おいしいものを安く仕入れているための、

 

生産地だったり、発展途上の、

 

国であったり、

 

よく売ってる、

 

ブラジル産の胸肉とかそんなものは、

 

低賃金の、過酷労働者とか、

 

そんな人たちがつくったような、

 

そんなことを想像すると、

 

資本主義という、

 

そして、その日本という国に生まれて、

 

ほんとうに幸せなんだろうかと。

 

普段食べてる総菜とか、お菓子とか、

 

家具とか、車とか、

 

その元をたどってみると、

 

すべて誰かの苦しみのなかで

 

出来上がっているって考えると、

 

今たくさんのものであふれているのは、

 

ほんとうにいいんだろうか?

 

と。

 

だから、

 

自分の喜びは誰かの悲しみの集合体で、

 

自分の喜びの努力の裏には、

 

誰かの悲しみもあることを、

 

考えることも大事なのかもしれない。

 

 びっくりするくらい

 

空が青いと

 

この地続きのどこかで

 

戦争が起きてるとか

 

人が死んでるとか

 

いじめられてる人がいるとか

 

そういうことが

 

信じられない

 
 
 また、
 
こういうこと書くと、
 
あいつ大丈夫か?
 
と言われるんですが、
 
そういう人間なので。。。
 
 

ネガティブは悪いことなんだろうか

悩む・もやもやしている人のシルエット | 無料のAi・PNG白黒シルエットイラスト

 

ここ3,4日ほど、

 

どんよりとした天気が続いていて、

 

冬から春に、

 

寒い日がまだまだ終わらないよと

 

言っているようで、

 

かぜの強さも、あって、

 

季節柄なのかわからないけど、

 

とりあえず最近はネガティブな心もちな

 

私なんです。。。

 

ネガティブは悪いことなんだろうか?

 

最近思うことは、どうしても、

 

物事に対して、

 

自分の思考回路が、まず、

 

どんなことに対しても、

 

ほんとうにそれは正しいんだろうか?

 

と、マイナス面を見てしまう自分で、

 

一見したら、見かけ上は

 

いい風なニュースに対しても、

 

その裏側というものを、

 

考えてしまう自分で。

 

それが良いことなのか悪いことなのか、

 

よくわからないけども、

 

メリットの裏側の

 

デメリットというものを、

 

見ようとする自分がいてしまうんですね。。。

 

それが足枷で。。。

 

それが足かせなのかどうなのか、

 

以前はやりたいと思ったことに対して、

 

とりあえず飛び込んじゃえと、

 

そんな心持ちで

 

アメリカへの短期留学にも、

 

いろんな人の話にも、

 

えぃっ!

 

と飛び込んでっていた自分なんだけど、

 

ぶつかっていくような、

 

そんな感じだったんだけど、

 

現状の自分というものは、

 

ちょっと違っていて、

 

これをやりたいと思っているけど、

 

ほんとうに自分にとってこの選択肢は、

 

あってるんだろうか、

 

とか、

 

失敗したらどうしようと、

 

とかとか、

 

他にももっと良い選択肢が

 

あるんじゃないだろうか、

 

とかとか、とかとか、

 

そんなことを、考えてしまう自分で。。。

 

また、

 

それを取り巻く環境とか、

 

今のやっていることが、

 

どれくらいつながるんだろう

 

とか、

 

将来はどうなってるとか、

 

もう考えたらきりがなくて、

 

わけのわからなくなっているような、

 

そんな状況でして、、、

 

考えに考えて、決めたことを正解にする

 

たくさんやりたいことがあって、

 

それは幸せなことで、

 

でも、そこには、

 

あたりまえなんだけども、

 

それを取り巻く社会、規則、お金、

 

そんなものが、

 

自分というものを囲んでいて、

 

それと、自分の想いみたいな、

 

そんなものをどんなふうに折り合いを

 

つけてやっていくか、

 

自分を取り巻いているものとの

 

共存と、自分のチャレンジ。

 

そういうものが、混ぜ合わさって、

 

生きていくことが、

 

自分になっていくのかもしれない。

 

複雑なネガティブな、

 

でも、そこには、

 

ポジティブなそんな意味合いをあるネガティブで。

 

人間はだれも究極的には

 

独りぼっちなんだ、といわれてきた。

 

ぼくはむしろ、

 

現在の自分だけを究極的なものだ、

 

と思いたいのだが、その意味は、

 

ぼくたちは独りでいる時の方が

 

なぜかもっと正直であり、

 

また本当の自分でいるように思える

 

と、いうことだろう

 

 

 独りで考えることは、

 

自分そのものであること。

 

考え続けることはネガティブとか

 

ポジティブとか、

 

そんなものでもない。

自分のやっていることに意味をみつけたならば、それでいい

 「道 著作権フリー素材」の画像検索結果

12月のあの長さははなんだったんだろうと、

 

思うくらいの速さで、

 

1月があっという間に過ぎて、

 

凍えるような強い風が、

 

つづく2月だけれども、

 

今日のいわきは気持ちのいい日差しが、

 

まだ眠いこころを包み込むような、

 

そんな気のもちようで、

 

1か月ぶりにブログでも書くかと、

 

ぽかぽかする陽気の中、

 

頭のなかからなにを文章にしようかと、

 

書きながら考えている今で。

 

リハビリとはなんなんだろうか

 

最近は、ありがたいことに、

 

施設にリハビリ目的で利用してくださる方が、

 

多くて、

 

(ケアマネさんや施設の方々、他いろいろな人たちに感謝)

 

あと3か月くらいで、

 

デイサービスの施設で働いて、

 

2年くらいになるんだけれども

 

生活期というもののリハビリを通して、

 

長期的な予後予測というものとか、

 

利用者を取り巻く環境をいかに、

 

利用者視点で、

 

良いものにできるんだろうとか、

 

リハビリというものが、

 

人によっては、

 

本気でやりたい人、

 

話すことを求めている人、

 

家でできることを教えてほしい人、

 

そもそも、リハビリというよりは、

 

コミュニティというものを

 

作りたくて来ている人とか、

 

まぁ、まとまらないけども、

 

リハビリをするというものの見方が、

 

100人いたら内容もニーズというものも

 

全然違う人たちが多いことを

 

知ることが出来ているのかなー

 

なんて、感じている日々で。

 

リハビリだけやりに来る人は少数

 

んで、最近思うことは、

 

ほんとのほんとに、

 

リハビリだけ、をやりに来る人は、

 

ごく少数で、

 

リハビリ目的だからといって、

 

最初は通っていても、

 

つまらなかったら、

 

だんだん、来なくなってくるし、

 

運動だけやって、帰る。

 

そういった環境は、

 

つまらないと思うし、

 

自分だったら、と考えると、

 

自分が良くいくお店っていうのは、

 

自分というものをよく知ってくれる、

 

話したことをうんうんと言って、共感してくれる、

 

困っていることに対して、

 

いろんなことを提案してくれたり、

 

受け入れてくれるような、

 

そんな居場所であって、

 

結局は生活期のなかでの、

 

リハビリというものの、

 

在り方というものは、

 

ひとつの立ち位置というものであり、

 

そして

 

人の居場所というものを作り出す、

 

そんなものなんじゃないかと、

 

思っているんですね。

 

知識も技術も人間性をすべて必要なんじゃないか。

 

前は、身体の勉強をするということが、

 

自分にとっては、

 

受動的な、

 

大学卒業したあとの、

 

やりたくないことをやっていたというような感覚で、

 

多分、自分自身が、

 

今やっていること、

 

やるべきことに対しての、

 

自分への意味というものをどこか、

 

わからなくなっていて、

 

その結果、自分のやっていることに、

 

対して、否定的なことを感じていて、

 

自分にはこの仕事が合わない、

 

とか、

 

きっと、やりたいことが見つかるはずだと、

 

『今、やるべきこと』というものから、

 

目をそらしていたのかなぁと考えていて、

 

でも、結局いろんなことを、

 

やってみるけども、

 

そこには、どこか受け身的な、

 

自分のやっていることに対しての意味付けを

 

自分自身の思考で行っていない、

 

そんなものだったのかなぁと、

 

考えていて。

 

だから、自分のリハビリという立ち位置の知識の偏りを

 

どこか、しようとしなくて、

 

哲学に頼っていたみたいな、

 

ある意味現実逃避をしていたんだと、

 

気づかせていただきました。。。

 

自分のやっていることに意味を見つけたならば

 

自分の憧れているような人はたくさんいて、

 

でも、自分は知識、技術ではかなわなくて、

 

理学療法士という枠組みの中で、

 

教授だとか講師だとか、

 

そういうものが自分にとっての憧れ、花方で

 

でも、自分というものは、

 

体力もなく、すぐにストレスをため、

 

できる人に比べて、自分が出来ないことに落ち込む。

 

(とてもメンヘラです)

 

でも、

 

ナンバーワンにはなれないけど、

 

自分というものの長所を知って、

 

そこを磨けば、

 

自分にしかないものを生かせるはずだと、

 

考えていて、

 

組織という中で、運動というもの、

 

それでも、自分がリハビリという小さい、

 

専門家という立ち位置のなかで、

 

何ができるかという、

 

ことを考えた時に、

 

やっぱり、身体のことをたくさん知る、

 

でも、そこには、自分だけではなく、

 

周りの人たちの考えを聞きながらも尊重し、

 

改善できそうなところは提案していく。

 

それが今の自分にできるスタイルで。

 

その中で、

 

自分の考えを文章にする。

 

SNSで発信していく、

 

そんなことが、

 

自分にしかできない小さいことだけど、

 

自分のやっていることに意味を見つけているから、

 

ただただ、それをやっていくことが、

 

自分にとってのなにか意味なんじゃないかと

 

思っていて、

 

5年前の自分にはわからなかったことが、

 

今、わかってきてる。

 

なにか大きいことはできないけど、

 

小さいことでも、

 

それが自分にとってなにか意味があるんだったら、

 

それでいいんじゃないだろうか。。。

 

わたしはもともと、クールな女優になりたくて、

 

でもその理想とはかけ離れていて。

 

理想と現実との差を感じるほど、

 

自分のことが嫌になったことを覚えています。

 

それなら『しょうがない』といってあきらめたんです。

 

そうすると

 

笑顔が素敵』とか『小さくてかわいい』という自分に思っていた短所が、

 

長所に思うようになりました。

 

短所だと思ってしまっていたことが、長所なのかもしれないと思うことで、

 

自信がついていきます。

 

 

 

自分の理想とは違うけども、

 

やるべきこととできることを磨いたその先には、

 

きっと自分のやりたいことにつながっている。

 

やりたいことがわからなくても、

 

最近は良いのかなぁと、

 

目標、逆算型の思考に、

 

執着しないこと。

 

それも、それで。。。

 

いや。。。

 

そっちのほうがいいのかもしれない。

 

友達とは困難を乗り越えるための仲間。『えんとつ町のプベルを見ての感想』

f:id:Re_make_Leo:20210103173209p:plain

年末、年始の休みも

 

今日で最後。

 

正月を過ぎてから、

 

どうしてからか、

 

日差しが明るくなったような、

 

でも、相変わらずの寒さは続いているんだけど、

 

年末と変わって

 

わきあがる気力みたいな、

 

そんな、

 

わくわく感が続いていて、

 

(ややテンションは高めです。。。)

 

そんな中、

 

ずーっと見たいと思っていた、

 

えんとつ町のプベル

 

見に行ってきました。。。

 

えんとつ町のプベルの原作は絵本

あらすじは、  

 

主人公ルビッチはえんとつ町に住む少年で、  

 

今まで、誰も見たことのない、  

 

亡くなった父ちゃんが信じた夢の  

 

『ホシ』を見るために、  

 

えんとつ屋として働きながら、  

 

家計を助けている。  

 

そんな中、   ある日、えんとつ町に舞い降りた、  

 

ゴミ人間のプベルと出会い、  

 

ルビッチの生涯初めての友達となり、  

 

えんとつ町でかつて誰も見たことのない  

 

ホシをみるために、   たくさんの人たちに笑われながら、  

 

時には暴力を受けて、   傷だらけになりながらも、  

 

時にはあきらめそうになりながらも、  

 

夢を信じ続けたルビッチと、  

 

ゴミ人間プベルの物語なんです。。。  

 

夢を語れば笑われる現代社会の縮図    

 

終始、映画みながらも、   涙が止まらなくて、  

 

総監督の西野さんの、

 

今までの体験してきたもの。  

 

ただ自分の夢をかなえたいという想いだけなのに、

 

たくさんの人にたたかれて、   誹謗、中傷を受けてきて、

 

夢を語って、   チャレンジしているだけなのに、  

 

西野さん自身が、   だれも傷つけていないのにも関わらず、

 

んで、その   生きてきた過程そのものが、  

 

映画のすべてに詰まっていて、

 

ルビッチと、そのルビッチの夢をあきらめない、

 

ゴミ人間のプベルの関係性が、

 

友達とはなんなのだろうか。  

 

と、ふと、あたまの片隅に浮かんできて、

 

考えにふけったわけで。。。

 

友達とは困難を乗り越えるために、夢をかなえるために励ましあえる仲間だ。  

 

今、私はブログを書いていて、なにやってんだあいつと、  

 

笑っている人もいると思うし、嘲笑されることもある。

 

以前に働いていた、苦しかった経験をした場所で、

 

自分がこうなりたいという想いに対して、

 

なに言ってんの?と、自分の能力と比較して、

 

鼻で笑われたこともある。

 

自分が、友達だと思っていた人から、  

 

自分がなにか、生きる目的みたいな、

 

そんなものを見つけて行動しているのに、

 

馬鹿にしてくる人もいる。  

 

わたしが思うに、  

 

ほんとうの友達とは、

 

自分がこうなりたい。

 

こんな夢をかなえたいという想いに対して、

 

賛同してくれるひと。

 

応援してくれるひとなのかもしれない。  

 

それは、べつに距離とか一緒にいた、時間といった

 

時間的、空間的なそういうものではなくて  

 

目指しているものがお互い上を見ているか、

 

という、見ている世界に共感できるような

 

そんな共通認識があるんじゃないかと 

 

わたしは思う。 

 

ほんとうに苦しい経験や、

 

チャレンジしている人たちというのは、

 

行動している人たちを笑わない、

 

馬鹿にしない。

 

自分も、そんな人になれるように

 

歩みを止めないように、していこう。。。

 

 「他の誰も見ていなくてもいい

 

黒い煙のその先に、

 

お前が光を信じたのなら、

 

行動しろ。思い知れ。常識に屈するな。

 

信じ抜くんだ、

 

たとえ一人になっても」

 

~ルビッチの父 ブルーノ より~

 

 ぜひぜひ、「えんとつ町のプベル」

 

を見てみてください。

 

最後まで読んでいただき、

 

ありがとうございます。。。

原動力はずっとひとりで生きていないこと。

 無料写真] 夕暮れの海と手をつなぐ家族 - パブリックドメインQ:著作権フリー画像素材集

 

世間は大晦日で、

 

だんだん、風も強くなってきて、

 

特に今日は寒くて、

 

日差しがあるのに、

 

刺すような風とは裏腹に、

 

今年は一人でいることが多かったなぁと、

 

しみじみ思っていて。

 

コロナウイルスのおかげさまで

 

去年とはうって変わって、

 

ブログを書くことや、

 

英語を勉強したり、

 

本を読む時間が増えたり、

 

最初は、

 

人に会えなくてつまらないと、

 

行動していないから、

 

怖いと、

 

行動=自己成長という、

 

勝手な

 

自分の思い込みみたいなものが、

 

頭の中をぐるぐるとめぐりに巡って、

 

いた自分だけど、

 

考える時間というものの大切さと、

 

今やっていること、というものに、

 

向き合うことの大切さみたいなものを、

 

ほんとうの意味で大切さを知った、

 

1年になりました。。。

 

ほんとうであれば。。。

 

ほんとであれば、今年の4月にフィリピンに行って、

 

語学留学をして、

 

その後はアメリカに留学をして、

 

アスレチックトレーナーの資格というものを

 

とりたい、

 

という自分の想いみたいなものがあって、

 

でも、現状というものを見てみると、

 

コロナウイルスという、ものが蔓延して、

 

先が見えないというか、

 

それも含めてだけども、

 

自分のキャリア設定みたいなものを考えてみると、

 

それはほんとうに、

 

自分にとっての幸せなのか、

 

スポーツに携わりたいというのは、

 

趣味レベルで?仕事レベルで?

 

その先、はどうなのか?

 

日本に帰ってくるのか?

 

アメリカにずっといたいのか?

 

とか、いろいろなことを考えてみると、

 

それが自分の本当にやりたいことなのか?

 

と、いう、

 

客観的に、今いる現状でも、

 

成長できることは、

 

たくさんあるんじゃないかと、

 

考えている日々で。

 

場所は関係ないのではないか。

 

あらためて、理学療法と、

 

地域リハビリテーションというものに

 

向き合っていて、

 

いままでの自分のやっていた治療というものが、

 

運動、解剖、生理学の基礎的なところを、

 

おろそかにしていたり、

 

忘れていたり、

 

今の自分の知識というものに、

 

頭が悪いからとか、

 

そういうものではなくて、

 

自分と関わってくれた人には、

 

どうせだったら、

 

良くなってもらいたいみたいな

 

人生前向きになって、ほしい、みたいな、

 

身体もだけど、こころ的なところでも。

 

そんなことを日に日に考えるようになって、

 

そんなこんなで、

 

勉強したことが人の役に立つという、

 

ものを経験してみると、

 

こんなにも勉強することが、

 

おもしろいんだと、

 

ひとりになるという、選んだ自分の

 

環境を得て、培うことができた、

 

新しい感覚を持つことのできた

 

2020年で。。。

 

それもこれもすべては自分の周りにいてくれる人のおかげ。

 

いま、いわきで働いていて、

 

自分の思考回路が前向きに、

 

取り組めているのも、

 

すべては、こんなにもめんどくさい自分と、

 

一緒に仕事をやってくれている

 

理学療法士

 

同僚や、

 

自分の考えとか意見とか、

 

そんなものを、

 

偏見とか、

 

そんなものなしで聞いてくれる、

 

スタッフ、上司の方々で、

 

協力的な人たちがいてくれなかったら、

 

自分という存在というものを、

 

自分自身で、肯定的に、

 

見れていないんだろうなと、

 

だから、

 

自分は恵まれているんだなぁと、

 

運というものが、改めて、

 

良いんだろうなぁと、

 

ありがたいと思える日々で。。。

 

2021年は。。。

 

2019年の自分は、新しい環境に飛び込み、自分の価値観を見つける。

 

2020年は、準備というものを大事にする。

 

2021年は知識を吸収しながらも、

 

自分のできることをアウトプットしていくということ

 

そして、出会ってきた人たちとのご縁を大切にするということ、

 

をテーマに。

 

特に2020年はインプットをたくさんしてきたから、

 

徐々に、アウトプットへ変えていけたら。

 

がちがちに、自分のやりたいことを、

 

無理に、

 

状況を捻じ曲げてまで

 

やるのではなくて

 

自分の求められることみたいなことに答えながらも、

 

能動的だけども、

 

宇宙の流れみたいなそんなものに、

 

抗わないように、

 

ちょっと、哲学的だけど、

 

まぁ、そんなものを大事にしていけたら。。。

 

ひとりで生きていたならば こんな気持ちにならなかった

 

ひとりで生きていたならば 理不尽も許せたかもな

 

ひとりで生きていたならば

 

ひとりで生きていないから

 

悔しさこみ上げるほどの「大切」に出会えたんじゃないか

 

こだわって生きると 今一度言い切るよ

 

原動力はずっとひとりで生きていないこと

 

SUPER BEAVER ひとりで生きていたならば より~

 


SUPER BEAVER 「ひとりで生きていたならば」 MV

 

 いつも、長々と、読んでいただいて、

 

ありがとうございます。

 

来年も1記事1記事丁寧に、向き合っていけたら。。。

 

来年もよろしくお願いいたします。

 

感謝をこめて

 

 

 

 

都道府県の奇跡

日本の47都道府県の地図のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

わたしの働いている、

 

デイサービスには

 

ある80台後半のおばあさんが

 

通っているんだけども、

 

そのおばあさんは、

 

わたしが今の職場で

 

勤めていた当初(だいたい1年と半年前くらいかな)、

 

すごーく鬱々しい感じで、

 

リハビリをしているときの会話も、

 

すごーくネガティブで、

 

家での家事に関しても、

 

『食事とか掃除とかやってみませんかねー』

 

という提案に対しても

 

『怖くてできません』

 

『心臓がドキドキしたらどうしよう』

 

というような、

 

本人はやりたいとは言うけれども、

 

そこには心臓を手術した既往とか、

 

不安とか、

 

いろんなものが、

 

あいまっていて、

 

リハビリ場面では、

 

屋外歩行も、立っての作業も、

 

出来てはいて、わたしが見る感じでは、

 

家事もできるんじゃないかなーという、

 

感覚というか、

 

そんなものがあって、

 

でも、リハビリ側の思うできると、

 

本人の思うできるというものの間には、

 

大きな乖離みたいなのがあって、

 

どうやったら、自分自身で、

 

行動に移せるようになるのかなぁというものが、

 

悶々とあったんですね。

 

キングオブネガティブ

 

んで、そのあばあさんはキングオブネガティブで、

 

かつ、敏感だから、

 

(わたしの5倍以上はね)

 

ちょっとした言葉や身体症状にも反応しちゃって、

 

足に浮腫ができたことで、

 

軽いものなんだけど、

 

心配性で、すぐに病院に行ったり、

 

足の静脈瘤に関しても、

 

『私はもう死んでしまうかもしれない』

 

と、思い込んでしまうような、

 

そんな人で、

 

だから、自宅での運動とか、

 

もともとやっていた家事とかにも、

 

消極的で、できるわけがないし、

 

続けられる自信もない

 

というマインドは、

 

なかなか変えることが難しかったんですね。。。

 

都道府県。。。

 

それで、ある日のリハビリで、なんだけど、

 

他の利用者さんと、都道府県を言い合うような、

 

記憶の訓練を行ってみたんだけど、

 

その、キングオブネガティブのおばあさんは、

 

案の定、全く答えることもできず

 

(たしか、福島県も答えることができず。。。)

 

自分が住んでる場所すらも、

 

答えることができないことに、

 

残念がって、いて、

 

それに対して、他の利用者さんは、

 

ポンポンと、スラスラと、

 

答えられて、

 

まぁ、そのときの、あのあばあさんの、

 

あっけらかんとした、

 

こんなこともわからないのか、

 

という、

 

めじりにしわをよせた表情が、

 

笑ってはいるんだけども、

 

喜びとは真逆の、

 

そんな、感情が

 

わたしにも伝わってしまいまして。。。

 

んで、運動よりも都道府県を覚える特訓が始めてみた。

 

んで、それから、そのおばあさんと一緒に、

 

まずは東北地方を覚えるという、

 

雑学的なものを、

 

わたしとともに働く同僚は、

 

やり始めて、

 

最初はなかなか、覚えることが出来なかったんだけども、

 

おもしろいことに、

 

そのおばあさんはすごーく心配性な、

 

おばあさんなもんだから、

 

リハビリの時が一種の、

 

テストの日みたいな、

 

そんなもので、毎週、繰り返し、

 

やっていくうちに、

 

時間はかかったんだけども、

 

47都道府県をいえるようになって、

 

そして、

 

挙句の果てには、

 

都道府県の有名なものとか、

 

観光地とか、特産品とか、

 

そんなものまで、自分で覚えてきて、

 

気づいたら、私と、同僚がわからないことまで、

 

わかるようになってしまい、

 

わたしたちが、

 

なんか勉強になっちゃっている、

 

そんな逆のリハビリになっている状況でして。。。

 

繰り返しが自信になるのでは。。。

 

そのあばあさんは、

 

今では、福島県の市区町村名を覚える

 

みたいな、

 

だんだん、マニアックなところまで、

 

始めていて、、、

 

おもしろいことに、都道府県を覚えた、

 

5倍速くらいの速さで覚えている状況でして、

 

本人としても、

 

一回ではできないけど、

 

繰り返せばできるというような、

 

そんな感覚がわかっている。

 

そして、

 

一緒に世界も覚えちゃいましょう。

 

と、リハビリを通して、

 

世界制覇を企んでいる

 

そんな状況でして。。。

 

(これを一般的なリハビリと名乗っていいものなのか。。。)

 

それからというものの、

 

気づいたら、地道に自宅のことでも、

 

以前はやっていたことに、

 

チャレンジを初めて、

 

1年という時間をかけて、

 

いまでは、自宅で食事を作っているし、

 

掃除もしている。

 

家族と買い物にも出かけているし、

 

家の前を少し歩いている、

 

毎日、都道府県や福島県の市区町村名を

 

紙に30分間書いて覚える練習をしている。

 

1年半前のあのときのおばあさんと、

 

いまのおばあさんでは、

 

行動というものが全く別人で、

 

一つのことが出来るようになるというのは、

 

べつのことにつながっているんじゃないかと、

 

考えてしまうわたしで。。。

 

ひとつの努力やできることが、自分の能力を最大限に引き出すのではないのだろうか。

 

わたしもそうなんだけども、

 

自信というものが、今でもわからないし、

 

理学療法士という仕事をしているけども、

 

自分より知識や技術のある人なんて、

 

いっぱいいる、でも、

 

大事なことは、

 

自信をつけようとするんじゃなくて、

 

ひとつのことでもほかの人よりも知る努力をする

 

そんなものがべつの何かにつながる

 

と思っている私で。

 

その一つのことでも知ることができたら、

 

べつのことでも、覚えることの

 

好奇心みたいなものが出来て、

 

それは覚えること以外にも、

 

運動でも、

 

資格でも、

 

やったことないものでも。

 

そんなものへでも、

 

つづければ出来るようになるんじゃないか。と。

 

そして、それを続けているうちに、

 

わかることがたくさん増えてきて、

 

気づいたら自信のある人のように見えている。

 

それが自信とよばれるものなのかもしれない。

 

そんなことを

 

このあばあさんとのリハビリを通して、

 

なにか、

 

大切なことを、

 

ひとつのことを、がんばること。

 

続けること、努力というものの意味を、

 

学ばせていただいている、

 

そんな私です。。。

 

負けたら終わりじゃなくて

 

やめたら終わりなんだよね

 

どんな夢でも叶える魔法

 

それは続けること

 

苦しみ 悲しみ

 

その先見える光

 

自分の道 ずっとずっとコンティニュー

 

SEAMO Continue より~

 

youtu.be

 

 

 続ける努力。。。

 

ブログも31記事目。。。

 

なにかにつながっているし、

 

つなげる努力。。。100記事目には見てる視点も変わるかな。。。

 

意味を見つけていこう。。。