それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

死んだほうがまし

私は、よく、ある利用者さんと、

 

リハビリで外に散歩に行く時がある。

 

その人は90歳台のばあさんで、なんでも自分で行っている。

 

デイサービスにくることが楽しみで、

 

リハビリをすることも楽しいと笑顔で言っている。

 

その人はよく私に言う言葉は、

 

なぜか

 

長く生きても楽しくない。

 

死んだほうがましだ。

 

と口癖のように言う。。。

 

私が初めて死ぬことを意識するようになったのは。。。

 

私が、中学生のころ、

 

中体連の東北大会出発の前日、

 

野球部の練習から帰ってきて、親父から、、、

 

『こういち兄ちゃんが亡くなった。』

 

と突然、聞いた。

 

 

 

こういち兄ちゃんは私の母方の叔父で、

 

私が小さい頃はよくたくさんおもちゃを買ってくれて、

 

中学に入ってからも、

 

卓球をしに体育館に連れて行ってくれたり、

 

ゲームセンターで遊んでくれたり、

 

よく、私たち兄弟にとっての兄貴のような感覚で

 

遊んでくれていた。

 

叔父のことが大好きで、

 

叔父もよく笑う人で私たちと遊んでいるときは、

 

楽しそうにしていたようにも思えた。。。

 

 

 

 叔父が死んだという話を聞いたとき、

 

『違う誰かであろう』という感覚。

 

バラエティ番組がテレビでやっていて、

 

『死んだ』という事実を認識していなくて、よくわからなくて、

 

お笑い番組を見て、笑って見ていたのを覚えている。。。。

 

 

 

その後、斎苑に行き、

 

ガラス張りのご遺体が入った桶を大人たちが囲んでいた。

 

ばあちゃんが、母親が、その親族たちが、

 

わめき散らすように、

 

いままで、見たことのない。

 

違う誰かであるように、

 

泣いていたのを覚えている。

 

それを真に受けて、その瞬間、

 

私も、

 

目の裏側から何か、

 

プツッ、、とはち切れたような、

 

パンパンにたまった、ビニール袋に穴が開いて、

 

ぬるいしょっぱい

 

涙があふれ出るように、出てきて、

 

一緒に、鼻水も、嗚咽と声が、

 

呼応するように、

 

あふれ出てきたことを覚えている。

 

その夜は一睡も眠れずに、

 

目の下にクマがでていることを知らずに、

 

試合に出かけた記憶がある。。。

 

 死ぬとは何だろうか。。。

 

その時から、死とはなんだろうかということを意識した、記憶がある。

 

これは、多分道徳的に、

 

死ぬこと自体は辛いこと、

 

だから、長く生きたほうが幸せという

 

私が死んだこともないのに、

 

よくわからない価値観が刷り込まれている。

 

死んだことを知っている人間はいない.。

 

実際に、死んだあとは天国だ、地獄だとか、

 

行いが報われるとか、よくわからないことを

 

問うている人たちもいる。

 

死ぬ瞬間、死んだあとは、わからない。

 

では、なんで、

 

生きるより、

 

死んだほうがましだ

 

思うのだろうか。

 

『死んだほうがまし』と思う瞬間は自分の存在価値が、自分自身で見つけられていないから、ではないだろうか。

 

私が、以前の職場で働いていて、

 

患者になにもできなくて、ミスをたくさんして、

 

馬鹿にされて、自分という存在価値を全く、

 

これっぽっちも、見つけることができなかった。

 

朝、出勤して病院の、職員玄関付近でふと、、、

 

『自分は生きている意味はあるのだろうか。』

 

その瞬間人生で初めて、仕事をしたくない。

 

『死んだほうがましだ。。。』

 

と、初めて思う瞬間があった。。。

 

そして、以前は、大学生のころは、

 

楽しいと思っていた、仕事の同僚との遊びも、吞み会も、

 

世間話をしていても、

 

なぜだか、心の底から、楽しいというような、

 

満たされるような感覚はなくなっていった。

 

死を強く考えるということは、どう生きたいかを、そして、どんな人間でありたいか、と自分に聞いているから。。。

 

最初は『整体サロンを開いてみたい』という想いができて、

 

以前の職場を辞めて、

 

今の職場にいる。

 

実際に友人と、出張で整体サロンを開いて、

 

実際にお金をもらって、

 

自分の存在価値というものが、

 

お金とともに言ってもらえる『ありがとう』という言葉が、

 

心に浸透していくような、

 

満たされる経験をした。。。

 

それで、初めて、自分が、世界から認められたような、

 

感覚を知った

 

そして、スポーツを仕事にしたい、という想いで、

 

実際にアメリカに行って、現地のプロチームのトレーナー、

 

アメリカで働く人たち、学生、

 

そんな人たちのたくさんの話を聞いて、今度は、

 

いつか、

 

『海外に留学したい、資格をとって、アメリカで働いてみたい。』

 

そんな夢がまた一つ増えた。

 

そして、今度は、文章を書いてみたい。という興味で、ブログを始めた。

 

このブログを通して、

 

一人でも多くの人たちが、自分のやりたいと思っていることにチャレンジして

 

もらえたら。。。という想いに変わって、

 

いつか、

 

このブログを読んで、

 

やりたいことやってみました、チャレンジしてみました、

 

という声が聞けたら。。。

 

 

 

その想いが、

 

夢が、

 

今は、

 

『死んだほうがまし』

 

から、

 

『英語を勉強したい』

 

『留学したい』

 

『ブログを書きたい』

 

『プログラミングも学んでみたい』

 

『時間が足りない、もっと、勉強しなきゃ、、、』

 

『死にたくない。。。』

 

『もっと、もっと、生きたい』

 

という想いに変わっている。。。

 

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命は始まった時からゆっくり

 

終わっていくなんて信じない

 

僕が生きる今日は

 

もっと生きたかった誰かの

 

明日かもしれないから


 


かりゆし58「さよなら」

 

やりたいと思ったことはなんでも良いから、やってみよう。

 

その勇気が、一歩が、

 

自分の夢や想いに、いつか変わっていくことを願って。。。