それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

友達とは困難を乗り越えるための仲間。『えんとつ町のプベルを見ての感想』

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年末、年始の休みも

 

今日で最後。

 

正月を過ぎてから、

 

どうしてからか、

 

日差しが明るくなったような、

 

でも、相変わらずの寒さは続いているんだけど、

 

年末と変わって

 

わきあがる気力みたいな、

 

そんな、

 

わくわく感が続いていて、

 

(ややテンションは高めです。。。)

 

そんな中、

 

ずーっと見たいと思っていた、

 

えんとつ町のプベル

 

見に行ってきました。。。

 

えんとつ町のプベルの原作は絵本

あらすじは、  

 

主人公ルビッチはえんとつ町に住む少年で、  

 

今まで、誰も見たことのない、  

 

亡くなった父ちゃんが信じた夢の  

 

『ホシ』を見るために、  

 

えんとつ屋として働きながら、  

 

家計を助けている。  

 

そんな中、   ある日、えんとつ町に舞い降りた、  

 

ゴミ人間のプベルと出会い、  

 

ルビッチの生涯初めての友達となり、  

 

えんとつ町でかつて誰も見たことのない  

 

ホシをみるために、   たくさんの人たちに笑われながら、  

 

時には暴力を受けて、   傷だらけになりながらも、  

 

時にはあきらめそうになりながらも、  

 

夢を信じ続けたルビッチと、  

 

ゴミ人間プベルの物語なんです。。。  

 

夢を語れば笑われる現代社会の縮図    

 

終始、映画みながらも、   涙が止まらなくて、  

 

総監督の西野さんの、

 

今までの体験してきたもの。  

 

ただ自分の夢をかなえたいという想いだけなのに、

 

たくさんの人にたたかれて、   誹謗、中傷を受けてきて、

 

夢を語って、   チャレンジしているだけなのに、  

 

西野さん自身が、   だれも傷つけていないのにも関わらず、

 

んで、その   生きてきた過程そのものが、  

 

映画のすべてに詰まっていて、

 

ルビッチと、そのルビッチの夢をあきらめない、

 

ゴミ人間のプベルの関係性が、

 

友達とはなんなのだろうか。  

 

と、ふと、あたまの片隅に浮かんできて、

 

考えにふけったわけで。。。

 

友達とは困難を乗り越えるために、夢をかなえるために励ましあえる仲間だ。  

 

今、私はブログを書いていて、なにやってんだあいつと、  

 

笑っている人もいると思うし、嘲笑されることもある。

 

以前に働いていた、苦しかった経験をした場所で、

 

自分がこうなりたいという想いに対して、

 

なに言ってんの?と、自分の能力と比較して、

 

鼻で笑われたこともある。

 

自分が、友達だと思っていた人から、  

 

自分がなにか、生きる目的みたいな、

 

そんなものを見つけて行動しているのに、

 

馬鹿にしてくる人もいる。  

 

わたしが思うに、  

 

ほんとうの友達とは、

 

自分がこうなりたい。

 

こんな夢をかなえたいという想いに対して、

 

賛同してくれるひと。

 

応援してくれるひとなのかもしれない。  

 

それは、べつに距離とか一緒にいた、時間といった

 

時間的、空間的なそういうものではなくて  

 

目指しているものがお互い上を見ているか、

 

という、見ている世界に共感できるような

 

そんな共通認識があるんじゃないかと 

 

わたしは思う。 

 

ほんとうに苦しい経験や、

 

チャレンジしている人たちというのは、

 

行動している人たちを笑わない、

 

馬鹿にしない。

 

自分も、そんな人になれるように

 

歩みを止めないように、していこう。。。

 

 「他の誰も見ていなくてもいい

 

黒い煙のその先に、

 

お前が光を信じたのなら、

 

行動しろ。思い知れ。常識に屈するな。

 

信じ抜くんだ、

 

たとえ一人になっても」

 

~ルビッチの父 ブルーノ より~

 

 ぜひぜひ、「えんとつ町のプベル」

 

を見てみてください。

 

最後まで読んでいただき、

 

ありがとうございます。。。