それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

自分のやっていることに意味をみつけたならば、それでいい

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12月のあの長さははなんだったんだろうと、

 

思うくらいの速さで、

 

1月があっという間に過ぎて、

 

凍えるような強い風が、

 

つづく2月だけれども、

 

今日のいわきは気持ちのいい日差しが、

 

まだ眠いこころを包み込むような、

 

そんな気のもちようで、

 

1か月ぶりにブログでも書くかと、

 

ぽかぽかする陽気の中、

 

頭のなかからなにを文章にしようかと、

 

書きながら考えている今で。

 

リハビリとはなんなんだろうか

 

最近は、ありがたいことに、

 

施設にリハビリ目的で利用してくださる方が、

 

多くて、

 

(ケアマネさんや施設の方々、他いろいろな人たちに感謝)

 

あと3か月くらいで、

 

デイサービスの施設で働いて、

 

2年くらいになるんだけれども

 

生活期というもののリハビリを通して、

 

長期的な予後予測というものとか、

 

利用者を取り巻く環境をいかに、

 

利用者視点で、

 

良いものにできるんだろうとか、

 

リハビリというものが、

 

人によっては、

 

本気でやりたい人、

 

話すことを求めている人、

 

家でできることを教えてほしい人、

 

そもそも、リハビリというよりは、

 

コミュニティというものを

 

作りたくて来ている人とか、

 

まぁ、まとまらないけども、

 

リハビリをするというものの見方が、

 

100人いたら内容もニーズというものも

 

全然違う人たちが多いことを

 

知ることが出来ているのかなー

 

なんて、感じている日々で。

 

リハビリだけやりに来る人は少数

 

んで、最近思うことは、

 

ほんとのほんとに、

 

リハビリだけ、をやりに来る人は、

 

ごく少数で、

 

リハビリ目的だからといって、

 

最初は通っていても、

 

つまらなかったら、

 

だんだん、来なくなってくるし、

 

運動だけやって、帰る。

 

そういった環境は、

 

つまらないと思うし、

 

自分だったら、と考えると、

 

自分が良くいくお店っていうのは、

 

自分というものをよく知ってくれる、

 

話したことをうんうんと言って、共感してくれる、

 

困っていることに対して、

 

いろんなことを提案してくれたり、

 

受け入れてくれるような、

 

そんな居場所であって、

 

結局は生活期のなかでの、

 

リハビリというものの、

 

在り方というものは、

 

ひとつの立ち位置というものであり、

 

そして

 

人の居場所というものを作り出す、

 

そんなものなんじゃないかと、

 

思っているんですね。

 

知識も技術も人間性をすべて必要なんじゃないか。

 

前は、身体の勉強をするということが、

 

自分にとっては、

 

受動的な、

 

大学卒業したあとの、

 

やりたくないことをやっていたというような感覚で、

 

多分、自分自身が、

 

今やっていること、

 

やるべきことに対しての、

 

自分への意味というものをどこか、

 

わからなくなっていて、

 

その結果、自分のやっていることに、

 

対して、否定的なことを感じていて、

 

自分にはこの仕事が合わない、

 

とか、

 

きっと、やりたいことが見つかるはずだと、

 

『今、やるべきこと』というものから、

 

目をそらしていたのかなぁと考えていて、

 

でも、結局いろんなことを、

 

やってみるけども、

 

そこには、どこか受け身的な、

 

自分のやっていることに対しての意味付けを

 

自分自身の思考で行っていない、

 

そんなものだったのかなぁと、

 

考えていて。

 

だから、自分のリハビリという立ち位置の知識の偏りを

 

どこか、しようとしなくて、

 

哲学に頼っていたみたいな、

 

ある意味現実逃避をしていたんだと、

 

気づかせていただきました。。。

 

自分のやっていることに意味を見つけたならば

 

自分の憧れているような人はたくさんいて、

 

でも、自分は知識、技術ではかなわなくて、

 

理学療法士という枠組みの中で、

 

教授だとか講師だとか、

 

そういうものが自分にとっての憧れ、花方で

 

でも、自分というものは、

 

体力もなく、すぐにストレスをため、

 

できる人に比べて、自分が出来ないことに落ち込む。

 

(とてもメンヘラです)

 

でも、

 

ナンバーワンにはなれないけど、

 

自分というものの長所を知って、

 

そこを磨けば、

 

自分にしかないものを生かせるはずだと、

 

考えていて、

 

組織という中で、運動というもの、

 

それでも、自分がリハビリという小さい、

 

専門家という立ち位置のなかで、

 

何ができるかという、

 

ことを考えた時に、

 

やっぱり、身体のことをたくさん知る、

 

でも、そこには、自分だけではなく、

 

周りの人たちの考えを聞きながらも尊重し、

 

改善できそうなところは提案していく。

 

それが今の自分にできるスタイルで。

 

その中で、

 

自分の考えを文章にする。

 

SNSで発信していく、

 

そんなことが、

 

自分にしかできない小さいことだけど、

 

自分のやっていることに意味を見つけているから、

 

ただただ、それをやっていくことが、

 

自分にとってのなにか意味なんじゃないかと

 

思っていて、

 

5年前の自分にはわからなかったことが、

 

今、わかってきてる。

 

なにか大きいことはできないけど、

 

小さいことでも、

 

それが自分にとってなにか意味があるんだったら、

 

それでいいんじゃないだろうか。。。

 

わたしはもともと、クールな女優になりたくて、

 

でもその理想とはかけ離れていて。

 

理想と現実との差を感じるほど、

 

自分のことが嫌になったことを覚えています。

 

それなら『しょうがない』といってあきらめたんです。

 

そうすると

 

笑顔が素敵』とか『小さくてかわいい』という自分に思っていた短所が、

 

長所に思うようになりました。

 

短所だと思ってしまっていたことが、長所なのかもしれないと思うことで、

 

自信がついていきます。

 

 

 

自分の理想とは違うけども、

 

やるべきこととできることを磨いたその先には、

 

きっと自分のやりたいことにつながっている。

 

やりたいことがわからなくても、

 

最近は良いのかなぁと、

 

目標、逆算型の思考に、

 

執着しないこと。

 

それも、それで。。。

 

いや。。。

 

そっちのほうがいいのかもしれない。