それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

あたりまえだろ。

 1年が経ちました。

 

去年の今頃に、

 

以前勤めていた病院を辞めて、

 

1年が経ちました。。。

 

辞めた自分の決断は正しかったのか。。。どうか。

 

は、これからまだまだ、

 

わからないけども、

 

少なくとも、

 

この1年は短かった、なんて言えなくて、

 

今でも頭痛が出るくらい

 

辛いことが多くて、

 

でも、

 

振り返ってみると、

 

この1年間は、

 

チャレンジしたことがたくさんあって、

 

全く、

 

自分の選んだ道を後悔なんて

 

していない自分がいる。。。

 

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変化はほんとうに怖い。。。

 

以前の職場を辞めるときは、

 

ほんとうに、これからは、

 

大丈夫なのかと、

 

不安に思っていたのを覚えている。

 

少し、ノリと勢いもあったけど、、

 

でもやっぱり、

 

不安は強くあって、

 

親がやっている、デイサービスで、

 

働くっていう、

 

決断をした、3年目のまだなにも、

 

仕事も板についてないような、

 

未熟な、ペーペーの

 

理学療法士が決めた決断っていうのは

 

当たり前だけども、

 

病院という環境では、

 

理解され難くて、

 

ある一人の上司に相談したら、

 

案の定、

 

めためたの、こったこたに、

 

絶対、やめたら後悔するという、

 

風に言われて、

 

後悔する、しない、を決めるのは

 

私であって、

 

なぜ、後悔することを、

 

決めつけられなければならないのか、

 

よくわからなかったけど、

 

否定されまくったら、

 

さらに、怖くなって。。。

 

しかも、

 

これをしたい、っていう

 

これからこんなことをやってみたいって

 

想っているような、

 

本質的な話しなんか、聞いてもらえるわけなくて

 

それで、

 

ずーっと、悶々としていたのを

 

覚えてる。

 

そのあとに、あらためて、

 

ほんとのほんとに、人として尊敬している上司の方に、

 

相談したら、

 

業務後のくらーい、廊下で

 

時計の針は8時を回っているのに、

 

たくさん、

 

話を聞いてくれて、

 

涙、涙で、言葉にして、

 

本質的な言葉がたくさん出てきて、

 

しかも、

 

その言葉の背中を押してくれて、

 

あらためて、

 

辞めるという決断に至ったこと、

 

を今でも覚えている。

 

この一年は変化が大きい一年で。。。

 

この一年間はやっぱり、

 

デイサービスで働く。

 

出張整体にチャレンジしてみる。

 

アメリカに渡って、現場をみて、アスレチックトレーナーという仕事にあこがれる。

 

それで、英語を勉強している。

 

ブログという媒体で自分の想いみたいなものから、発信はする。

 

という、日々、新しいことにチャレンジするということの連続と、

 

自分のできないとい思い込みをなくすって

 

いうものをひっくり返している最中で、

 

去年の今から、

 

1年経った今日まで振り返ると、

 

過去の自分とはまた違う自分で、

 

自分で、自分の道を選べてる

 

なんて、思って、

 

当たり前のことだけど、

 

当たり前の考え方みたいなことが

 

出来ていなかったなんて思って

 

いる、今日この頃で。。。

 

 

一年経って、一番変わったことは。。。

 

一年経って、

 

一番変わったことは、

 

比べている対象が変わってきている、って、

 

思っていて、

 

んで、

 

その、比べているものっていうのが、

 

『周り人間 対 自分』ではなくて、、

 

『過去の自分 対 現在の自分』 

 

というものに変わってきてる。

 

物療の機械を深く勉強して使えるようになったり、

 

以前読めなかった、簡単な洋書が読めるようになったり、

 

まだまだ、できないことはたくさんだけど。

 

新しい環境を選んで、

 

自分で選んだという責任が、

 

自分を育てているのかもしれない。

 

今いる場所の自分を客観視するようになった。

 

比較対象が、

 

『過去の自分 対 現在の自分』 

 

というものへ、だんだん、変わってきているのも、

 

環境の変化というのが大きくて、

 

いろいろなことに

 

チャレンジさせてもらえるような

 

環境、

 

当たり前みたいなことを

 

押し付けられないような

 

環境、

 

だからこそ、

 

余計な、

 

自分とはまったく違う人たちの

 

枠にとらわれないように

 

生きていけているのかもしれない。

 

以前、いた環境と、

 

今、いる環境の中で、

 

やり方も、あたりまえも、全く違くて、

 

そんなことを考えると、

 

当たり前とはなんだろうか。

 

って思うこの頃でいる。

 

あたりまえとは、誰かが決めたルールや物差しでしかない。

 

そんなことを考えると、

 

当たり前とは、誰かのルールや、物差しでしかなくて、

 

必要なことは、

 

その枠の中にいる人たちの決めた

 

見方や価値判断が

 

自分にとっては、

 

自分らしく在れているのだろうか、と、

 

自分は成長できるんだろうか、と、

 

疑問を持つこと

 

今の自分を見直すことに大事なのかもしれない。

 

そのあたりまえな見方が

 

自分にとって、

 

自分だったり、その周りの人たちも

 

成長できるって思えるような、

 

ルールや物差しであるような

 

場所にしていこう。。。

 

自分たち地球が
 
宇宙の中心だと考えているという考えに
 
かじりついていた間
 
人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に
 
自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、
 
世の中の本当のことも、
 
ついに知ることができなくなってしまう。
 
大きな真理は、
 
そういう人の目には、うつらないのだ。 

 

自分のあたりまえは、相手にとってのあたりまえではない

 

自分はもしかしたら、

 

おかしいのかもしれない、と

 

一歩引いて、自分を見ていこう。