それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

これも幸せ

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わたしの働いている

 

デイサービスでは、

 

利用者さんを喜ばせるために、

 

毎年恒例行事のクリスマス会が、

 

12月の24日と25日に、

 

あるんだけれども、

 

ここ最近は、

 

その行事の準備やら、

 

年末特有の、

 

仕事が増えるという現象で

 

ここ最近は忙しくて、

 

なかなか、一緒に、

 

働いている、

 

同僚とも、

 

ごはんを食べに、行けなかったんだけども、

 

やっとのやっとで、

 

クリスマスの日の夜に、

 

同僚と、

 

一緒に、

 

男二人で、

 

ごはんに行こうという予定を立てて、

 

行ってきたんです。

 

そのお店が、

 

ここ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麺屋しをん|いわき市の二郎系ラーメン | ぐるっといわき

 

いわき市の次郎系ラーメン”麵屋しをん”とは。。。

 

 この店は、

 

いわば、

 

私だけなんだけども、

 

じろりあん

 

(次郎ラーメン好きを呼称)

 

にとって、

 

魔法の粉を、

 

いれているんじゃないかと

 

(いい意味で。。。)

 

麻薬物質か、

 

考えるだけで、

 

ドーパミンが放出されるような、

 

一度行くと、

 

身体が、細胞レベルで、

 

求めてしまうような、

 

想わせられるような、

 

そのようなもので。

 

現代ラーメンの好尚、

 

麵屋しをんに男二人で、

 

クリスマスイブの夜に、

 

行ってきたんですね。。。

 

値段がリーズナブルでおいしい。

 

そこのラーメンは、だいたい、

 

700円~1000円くらいの、

 

リーズナブルな価格で、

 

最も、27歳の

 

成人男性にとっては、

 

毎回、行くたびに、

 

胃がもたれてしまうような、

 

量の話ではなく、

 

量も多いほうなんだけど、

 

背油的なものと

 

ボリューミーな、

 

チャーシューが、

 

原因だと思ってるんだけども、

 

毎回行くたびに、

 

食べているときは、

 

至福を感じ、

 

そして

 

食べた後に後悔するという、

 

なぞの循環に苛まされてしまうんですね。

 

学習力がないのかもしれない。。。

 

幸福とは。。。

 

今日まで、忙しくて、

 

ラーメン屋に行くこと自体が、

 

一か月ぶりで、

 

今週なぜ、仕事を頑張るのか、

 

というものの理由のひとつに、

 

魔法の粉が入っている、

 

ドーパミンがドバドバ出てくる、

 

現代の好尚的な、

 

そんな

 

ラーメンを食べに行くために。

 

という、

 

いわば、

 

ひとつの、

 

頑張る動機的な、

 

そんなものを報酬系にして、

 

仕事を頑張っていたわけですね。

 

んで、幸福とは。。。

 

わたしの横で、

 

同僚は辛味のまぜそばを、

 

汗をだらだらと垂らしながら、

 

あたらしい食べ方を

 

あみだしてしまったと、

 

言い、

 

溶き卵に、

 

つけめん風に、して、

 

まぜそば

 

すすっている姿は、

 

まぜそばという、

 

一般常識を、

 

概念的なものを、

 

覆すような

 

そんな衝撃的な、

 

食べ方で、

 

もくもくと、

 

でも、幸せそうに、

 

めっちゃ辛いと、

 

悶えながら、

 

そして、

 

わたしの隣の隣で、

 

一人で、

 

店に来ている、40代の

 

独身男性と

 

思われる、

 

客の、”にんにくマシマシでお願いします”

 

という、抑揚のある声をきいて、

 

そんなものが、

 

これこそが幸せの本質なのかもしれないと、

 

前日の睡眠不足の、

 

調子が悪いけど、

 

おなかがすいて、

 

あっさり味噌ラーメンをすすりながらも、

 

あっさり系も、

 

この店はうまいんだな。

 

と、

 

考えに耽っていたわたしで。。

 

幸福とは感情の揺れ幅なのかもしれない。

 

わたしには

 

趣味といった

 

ものがなくて、

 

一人で吞みに行くことが好き

 

というくらいで、

 

なにが好きで、

 

どうしてる瞬間が楽しいとか、

 

そんなことが

 

時より

 

わからなくなるんだけども、

 

大事なことは、

 

感情の揺れ幅というものこそ、

 

幸福というものを感じるために、

 

必要なこと

 

なのかもしれない。

 

だから、

 

普段の起きた出来事のなかでも、

 

辛い、悔しい、思い通りにいかないとか、

 

負の経験とか、そんな、

 

マイナスに感じるものは、

 

実は、普段何気ないことに、

 

ありがたみを感じたり、

 

あのころに比べたら今は。。。

 

というような、

 

今いる場所というものに、

 

感謝が生まれる。

 

だから、辛いなーという感情は、

 

実は悪いものではなく、

 

幸福を感じるための、

 

助走で、

 

その助走というものが、

 

長ければ長いほど、

 

幸福というものを

 

感じやすくなるのかもしれない。

 

だから、だいじなものは値段ではなくて、

 

自分で感じる価値というもの

 

見ていきたいなぁ。

 

クリスマスイブの夜に、

 

ラーメン代に出した

 

1000円は

 

忙しかった仕事とともに、

 

それ以上の感情を生み出したものに、

 

 なったとさ。。。

 

えんとつ町は煙突だらけ

 

そこかしこから煙が上がり、

 

頭の上はモックモク。

 

黒い煙でモックモク。

 

えんとつ町に住む人は、

 

青い空を知りません。

 

輝く星を知りません。

 

 

 

 他の人にはわからないけど、

 

自分はこれが好きなんだよなぁ

 

というものに

 

目を向けていこう。。。

 

 

 

いまじん

 ジョン・レノン 画像 | 無料のベクター、ストックフォト、PSD

 


一年中あたたかさを感じるいわきなんだけども、

 

ここ最近は、

 

冷たい風が吹き込むことが、

 

強くなってきて、

 

朝も布団から、出ることのハードルが、

 

少しずつ高くなっている今日このごろで。

 

最近久しぶりに、感情が動かされた、

 

考えさせられることが

 

たくさんあったよき、

 

本に巡り合えたので、

 

お決まりのスタバの隅っこで

 

思ったことをつらつらと、

 

書いてみようと、

 

思います。。。。

 

強盗殺人の兄の弟というレッテルを張られた直貴のお話

 

あらすじは、

 

強盗殺人で服役中の兄、剛志から、

 

月に一度、手紙が届く、弟の直貴。

 

家が貧しく、直貴の大学進学のために、と思い、

 

やってしまった、剛志の強盗殺人。

 

アルバイトをするにしても、

 

大学進学するうえでも、

 

音楽で夢を見つけたにしても、

 

好きな人と結婚をするにしても、

 

子供を育てていくにしても、

 

障害になり挫折や、

 

あきらめるという選択をしてしまうのは、

 

いつも、

 

強盗殺人をした兄の弟という直貴のレッテル。

 

そのレッテルのなかで、生きていく、

 

直貴の直貴自身の向き合い方というものに、

 

社会的差別というものを、

 

考えさせられました。。。

 

私たちは無意識に社会的差別の中で生きているんじゃないだろうか

 

このお話の中で、

 

バンドでメジャーデビューをする手前でも、

 

好きな人と結婚をしようとする直前でも、

 

希望が通った部署でも

 

かならず、

 

兄が強盗殺人をした

 

という事実を周囲の人間に知り渡った途端に、

 

直貴を見る目というものが変わって、

 

バンドを辞めることになったり、

 

結婚を拒否されたり、

 

営業の部署から配置変換されたり、

 

そして、

 

気づいたら、人間が離れていく、

 

ことごとく夢をあきらめる。。。

 

直貴の努力や親切な人間性というものを無視して、

 

そのレッテルでその人間をイメージ化してしまう

 

という、ことがたくさんあって、

 

それが、

 

妻にも、

 

子供にも、

 

夫の兄は強盗殺人犯

 

お父さんの兄は強盗殺人犯

 

というレッテルを張られ、

 

そのレッテルというものは、

 

ただの、

 

自分が見たい、自己中心的な

 

個人へのイメージでしかないんだろうなぁと

 

考えてしまうような気がして。。。

 

でも、社会的差別があるのはあたりまえなんじゃないだろうか。

 

でも、社会的差別があることは、

 

あたりまえなんじゃないだろうかと、

 

個人的には考えていて、

 

それは、豪邸に住んでいる人はきっと上品な人なんだろうなぁ。

 

とか、

 

あの人は東京大学を出たから、きっと仕事ができる人なんだろうなぁ。

 

とかとか、

 

学歴や、所有しているもの、SNS、社会的地位とか、

 

それが個人のイメージを作るものだし、

 

良い意味でも悪い意味でも、

 

個人の持った印象自体が、

 

それは、ある意味、社会的差別になりうるものだと

 

思っていて、それがこの本では

 

強盗殺人をした兄の弟

 

というインパクトの大きい、

 

レッテルであるんだろうなぁ。。。

 

大事なことはレッテルを疑うこと、想像なんじゃないだろうか。。。

 

個人をブランディングするSNSがある。

 

資格を持っている。

 

○○という有名企業で働いていたことがある。

 

○○という会社で社長をしている。

 

 という個人をイメージ付けををするレッテルがある。

 

でも、

 

実際に話してみると、

 

自分のことしか話さない。

 

持っているものの自慢しかしない。

 

結局、人のために自分はなにをやっているのか、

 

どんな想いでやっているのか。

 

結局は自分の利益、損得のことしか考えない人もいる。

 

でも、

 

過去に、強盗や、逮捕歴とか法的違反を、

 

過ちを犯してしまっても、

 

いま、その経験があるから、

 

世間のために、こうありたいという、

 

軸を持っている人、行動している人がいる。

 

レッテルだけしか見れていない人は、

 

想像するということを放棄して、

 

その人の本質を見ようとしない人たちもいる。。。

 

自分自身、自分が見たい世界でしか、

 

物事を見れていないけども。。。

 

こういう見方もできるかもしれない。

 

一見短所に見えるけども、

 

こういう視点から見たら、

 

逆に長所になるよなぁ、とか、

 

たくさんの視点で

 

事象や個人というものを想像できるような。

 

そんな人でありたいなぁ。。。

 

結局だいじなことは、

 

それはほんとうなんだろうか??

 

と一歩引いて、

 

疑問に思うことが本質をみるためにはだいじなことなのかもしれない。

 

 Imagine there's no countries


It isn't hard to do


Nothing to kill or die for


And no religion too


Imagine all the people


Living life in peace

 

【訳】

想像してごらん。国なんて関係ないんだと。

 

難しいことなんかない。

 

殺す理由も死ぬ理由もなく

 

宗教もない

 

想像しよう。みんなが

 

ただ平和にいきているって。。。

 

ジョン・レノン Imagineより~

 

習慣と信頼

握手している人のシルエット | 無料のAi・PNG白黒シルエットイラスト

 

今週は、曇りが主役で、

 

それと、

 

秋晴れと、

 

雨が、

 

ころころと変わるような天気が続いていて、

 

寒さで肌寒くって、

 

低気圧よ、勘弁してくれと、

 

こころはざわつく、

 

そんなわたしで。

 

スタバのホットコーヒーに、

 

安心感を得るような今、

 

スタバにいることに暖かみみたいな、

 

そんなものを感じる。。。

 

ふと、今週読んだ本のある、言葉が、

 

ずーっとこころに引っかかっていて、

 

良いのか、悪いのか、

 

1つのことを、

 

どうしても、

 

ふかーく考えてしまうので、

 

文章にしてみようと、思い、愛用の

 

パソコンを開いて、

 

かたかたと打っているわたしで。。。

 

最近、読んでしまう作者は。。。

 

最近は

 

村上春樹伊坂幸太郎の本をついつい、

 

買ってしまうことが多いんだけども、

 

印象に残った本があって、

 

それは。。。

 

伊坂幸太郎

 

ゴールデンスランバーという本なんだけども。。。

 

(ネタばれ嫌な方は読まないように。。。)

 

 

あらすじは。。。

 

あらすじはというと、

 

主人公の青柳雅春という青年が、

 

ある日、日本の総理大臣の暗殺事件の犯人に、

 

仕立てられてしまって、

 

その、総理大臣暗殺事件の指名手配犯として、

 

政治、警察、マスコミ、国民すべての人たちから、

 

追われて、その逃亡劇をのすべてを、

 

仙台市を舞台に綴られたもので。。。

 

(もちろんフィクション)

 

アメリカのケネディ大統領暗殺事件が元ネタになっていて、

 

んで、暗殺をしたとされる人物が、

 

オズワルドという、

 

実は、指名手配に仕立て上げられ、

 

んで、暗殺されてしまうというものを

 

日本を舞台に

 

フィクションで描かれたものなんです。

 

親友の森田森吾という人物が。。。

 

主人公の、青柳雅春には大学時代の、

 

親友の森田森吾という人物がいて、

 

その森田森吾は、

 

爆弾が、仕掛けられている、

 

車から、主人公の青柳雅春を逃がして、

 

それで、

 

森田森吾は物語の早い段階で

 

車が爆発して

 

亡くなってしまうんだけども。

 

(マスコミでは爆発事故と嘘の情報を報道されて)

 

それで、

 

話が進むにつれて、

 

主人公が、これ以上、逃げるのは無理だろう

 

という状況の中で、

 

過去、森田森吾との会話がシーンみたいなものが、

 

回想されて、

 

森田森吾の言葉の数々が、

 

主人公の心を奮い立たせて、

 

最終的には逃げ切るんだけども、

 

んで、その言葉のうちの一つがどうしても、

 

あたまからはなれなくて。。。

 

人間にとっての最大の武器とは。。。

 

それで、物語の終盤で、

 

主人公は全国指名手配を受け、

 

逃げ続ける中で、

 

森田森吾が発した、

 

人間の最大の武器は

 

”習慣と信頼だ” 

 

という言葉を反芻して、

 

自分を奮い立たせて、

 

逃げ切るんだけども、

 

青柳森吾を知っている友人、家族、

 

事件に関わった人たちは、

 

主人公の行ってきた行動習慣と

 

かけ離れすぎている行動を、

 

マスコミは垂れ流すんですね。

 

んで、

 

その嘘の情報というものに、流されずに、

 

警察に殺されるかもしれない状況でも、

 

主人公を逃がすために、協力して、

 

結果、主人公が生き残れるように、

 

最後まで協力し続けたんです。

 

習慣と信頼とは。。。

 

それで、なにが言いたいのか。。。

 

習慣こそ信頼というものを作るんじゃないか。

 

と、この本を通して感じたことで。。

 

そもそも、

 

個性とは

 

すべて習慣というもので構成、

 

構築されていて

 

結果、

 

良い人、悪い人、適当な人、おもしろい人、

 

優しい人、明るい人、つまらない人、

 

とか、

 

そういった個人の物差しで、

 

信用、信頼していい人なのかを

 

認識されている。

 

んじゃないか、と思ったんです。。。

 

その人、個人の習慣というものが、

 

信頼を作る

 

だから、良い習慣のある人ほど、

 

信頼を得ることができる。し、

 

逆に、悪い習慣のある人ほど、

 

信頼を得ることが出来にくい。

 

信頼こそ、自分が生きていく上で、

 

呼吸をしやすくなるような、

 

酸素みたいな、そんなものなのかなぁ。

 

もしなにか困ったときに、

 

信頼のある人ほど、手を差し伸べてくれる人が

 

多いと思うし、

 

信頼がない人は助けてもらえず。。。

 

うまくいかなくなるのかと。

 

まとめると、

 

良い習慣は最大の武器になる。

 

シンプルに、そんなことが言いたいわたしなのかなぁと。。。

 

俺にとって

 

残っている最大の武器は

 

人を信頼すること

 

くらいなんだ。

 

ゴールデンスランバーより~

 

そんなことを書きつつも、

 

気分にムラがある私で、

 

信頼されるような人間ではないけど、

 

やらなきゃいけないことを、

 

先送りにしてしまうときもあるけど、

 

意識して生きていきたいなぁ。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

 

 

迷走と夢中の途中。

 夕暮れ 走るマラソンランナーのフリー素材・無料の写真 | 1920 x 1280| ピクト缶

 

10月に入って、曇りの日が増えて、

 

台風14号はなんとか、いわきからは逸れて、

 

でも、一日曇りと小雨が降り続けていて

 

気圧差なのかどうなのか、

 

最近はいつもと変わらない、仕事量だったり

 

するんだけども、

 

なんとなく疲れたなぁと、

 

思うことが多くて、

 

気晴らしに、温泉とか、

 

本を読む時間を増やしたりとか、

 

気を紛らわすようなことを、

 

多くしている日々で。。。

 

最近は休憩することの大切さを、

 

わかってきていて、

 

体力のない自分を、受け入れながら、

 

ブログでも書くかと、

 

ふと、思いついてしまったわけで。。。

 

自分の傾向として。。。

 

自分の性格として、今まで気づかなかった部分だけども、

 

どうしても、物事を合理的に考えてしまっている、

 

癖があって、

 

今年に入るまでは気づかなかったんだけども、

 

今あるものをどうしたら、

 

活かせるんだろうか。。。

 

みたいな、

 

今やっていることをベースに物事をどんなふうに

 

進めていければいいのか、

 

と、

 

効率最優先みたいな、

 

自分の良いところでも、

 

悪いところなんだなあ、、、と

 

思うことがつくづくあって、

 

必要最低限のことだけに、

 

目が向いてしまうあまりに、

 

他の部分を、おろそかにしてしまうことが

 

とても多くあるんです。。。

 

(具体的な話はまた今度で。。。)

 

これからの自分はどうしたいんだろうか??

 

それで、そういう合理的な性格の自分は、

 

最終的にはどうなっていたいんだろうか?

 

と、いわば、ゴールがあやふやになっていて、

 

合理的な性格ではあるんだけども、

 

やりたいことがたくさん、ある自分という、

 

いわば、矛盾の塊が自分に押し寄せていて、

 

介護現場での、リハビリというものの中に、

 

おもしろさをすごく感じている自分。。

 

それと、

 

ずーっと言い続けてきた、

 

アメリカに留学して、

 

アスレチックトレーナーの資格をとって、

 

アメリカで働きたい、という、

 

そこにチャレンジをしたい、

 

と、思っている自分の、

 

せめぎあいの中で、

 

結局自分はどうなっていたいんだろう?

 

という本質的なところの、

 

問いの答えみたいなものが、

 

出せていない自分がいて、

 

いわばブレブレの自分が、

 

なんというか、それぞれの意見を交わしているような、

 

そんな状況でして。。。

 

本質的な答えとは。。。

 

んで、自分なりに考えていることではあるんだけど、

 

前までの自分は、

 

なにか、大きなことをやりたい、

 

とか、ほめられたいだとか、

 

そんな承認欲求みたいなものを、

 

求めていた自分がいて

 

(今でも、承認欲求みたいなものはあるんだけども。。。)

 

そんなわけで、

 

なにかかっこいいことをしたいとか、

 

すごいと思われたいだとか、いう

 

自分がなにに満足するかという基準より

 

他者のものさしに自分がぶれてしまうような、

 

そして、どんなやり方がいいのだろうか、という

 

方法論みたいなところばかりを

 

考えていたんですね。。。

 

(書いていて恥ずかしいですが。。)

 

だから、自分がどんな状態のときが幸せなのか、とか、

 

なにに、満足をしていて、

 

どんなことはしたくない、とか、

 

大事なことは、自分がどんな状態になっていたいのか

 

そんなことをベースに物事に取り組んでいなかった。

 

から、方法論みたいな、

 

他者の評価軸で、進んでいたんだろうなぁ。。。

 

んで、その本質的なところとは。。。

 

それで、その、本質的な状態を考えた時に、

 

ほんとうにシンプルで、

 

自分自身は

 

①物事に夢中になっていたい。

 

②ありがとうと言われたい。

 

③好きな人と仕事をしていたい。

 

特に上2つが自分にとっての、幸せの本質で、

 

その本質が満たされているのであれば、

 

なにをやっていてもいいなぁと、

 

最近、考えにふけっていたわけであって。。。

 

”夢中になれている状態”こそ、本当の意味の夢になるんじゃないのだろうか。

 

夢を持ちなさい、とか、

 

やりたいものがなきゃだめよ。とか、

 

欲がないんじゃだめだよ。

 

とか、言われることもあるとは思うんだけど、

 

個人的には少し違うなぁ、

 

と、思っていて、

 

続けていたら、それが、やりたいこと、

 

になることが大切なんじゃないのかと。

 

無理やりつくるものでは、なくて、

 

こう、自然発生していくような、ナチュラル的な、

 

そんな、モノなんじゃないだろうか。

 

夢っていうものは

 

自分が心のそこから満たされているような、

 

状態や概念みたいな

 

そんなもんじゃないのだろうかと思っていて

 

○千万、〇億稼いでいる、とか、

 

そういう可視化できるものを、

 

夢みたいなものにしても、

 

結局、欲しいものみたいなものはどんどん、増えていくもんで。。。

 

もので満たされるのは一瞬なわけ、と、

 

結局可視化できるものは目標になるだけで、

 

夢とは別の話。

 

と、おもっている。。。

 

子供たちにも、

 

そこに気づかせることこそが自分たち、

 

大人の役割であって。。。

 

(わたしの年齢は27歳。こころは中学生ですが)

 

目標を持ちなさいではなくて、

 

その目標をかなえた先には自分がどんな状態になっていたいのか、

 

それを伝えてあげることがだいじなのかなぁ。。。

 

人生に対しての無気力感と、むなしさとか、

 

そういったものを

 

減らせるんじゃないかと。。。

 

 

それで自分の価値観と向き合わないあまりに、 

 

夢というものを

 

他者の物差しでつくってしまう、

 

無理やり作ってしまうあまりに、

 

今目の前にやっていることをおろそかにしてしまっていたり、

 

目標をかなえてしまったあとの、

 

完全燃焼後の無気力的な、

 

していたら、いわば、

 

自分と向き合うことから、

 

かけ離れてしまう状態に

 

なってしまうんじゃないだろうか。

 

結局なにを言いたいかというと、

 

やっていることは関係なくて、

 

自分の価値観と向き合って、

 

なにか夢中になっている状態を作り出すこと、と、

 

自分の満たされれている概念的なものをかなえるために

 

チャレンジしていることこそが、

 

人生を有意義なものにしていくものでもあるのかなぁ、と。

 

 夢を実現するための鍵は、成功することではなく、

 

その意義について目を向けること。

 

そうすれば、

 

過程における小さな一歩、

 

小さな成功が大きな意味を持つことになるわ。

 

オプラ・ウィンフリー

 

 

そんなことを書いていて、

 

考えがころころ変わってしまう自分に、

 

自分自身が困ることがたくさんあるんだけども、

 

こいつは、なにか夢中になっていたいんだろう

 

と、言う目で見ていただければ。。。

 

結局、迷いながらも夢中になって進む。。。

 

そうなってしまう。。。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

 

 

見方と世界。。。

向き合う2人|シルエット イラストの無料ダウンロードサイト「シルエットAC」

 

5か月ぶりのブログ更新。

 

いわきの天候は、秋本番で、

 

徐々に気温が下がってきている今日この頃で、

 

最近、利用者さんと話していても、

 

1か月というものが、あっという間で、、、

 

時間というものと。。

 

年齢というものとを。。。

 

これからの自分という生き方をどんなふうに

 

していきたいんだろうと。。。たまに、

 

自問自答の日々で。。。

 

でも目の前のことに追われる日々で。。。

 

まぁ、時間というものはほんとうに、早くて。。。

 

もう○月ですねぇを何回も繰り返しているうちに、

 

今年もあと3か月も切ってる今日この頃で。。。

 

英語勉強を初めて、一年が経ちました。

 

中学校、高校は英語が本当に苦手で、

 

英語なんていうものに触りたくもなくて、

 

教科書の長文なんて読んでるうちに気づいたら、刻刻と、眠りのなかに、

 

入っている自分がいて、

 

そもそも、英語をなぜ勉強する必要があったのか、なんて、

 

考えたこともなくて、

 

記念受験をしたセンター試験では、

 

80点くらいしかとれない自分。

 

野球部だったんだけど、

 

英語は睡眠の時間だと、という位置づけをしていたんだな。。。

 

(本当に恥ずかしい。。。)

 

その結果、苦手なものにどうやって取り組めばいいのか、

 

どうすればできるんだろうかという思考に

 

たどり着く前に、

 

やりたくないという感情。

 

ゴキブリを見た瞬間に、目をそらしたくなるような、

 

そんなもので、あたまの中が真っ白に

 

そんな感覚だったんだと思う。。

 

何事も最初はストレスで。。。

 

英語を勉強して、3か月間は、本当にストレスで。。。

 

なにから手を付けていいのかわからなかったから、

 

とりあえず、簡単な文法書と単語帳を買って、それをやり続けて、

 

それが全くおもしろくもなく、ストレスをため、

 

でも自分で決めたことだから、、、

 

と、無理にでもやり続け、気づいたら、

 

頭痛と熱発を繰り返し。。。

 

こんなんじゃ、続くわけがない。。。

 

と、やり方を思考錯誤していったわけで。。

 

こうなりたい!!という自分の夢というものだけで、

 

メンタルだけでただただ乗り切っていたわけで。。。

 

(やりたいという動機こぞ最強のモチベーションだったんだけども。。)

 

続けるなかで意味が生まれていく。

 

そんなこんなで、3か月くらいして

 

英語の勉強法みたいなものから、

 

勉強することから始めた自分で。。。

 

その結果、

 

自分のレベルにあったやり方みたいなものを、

 

1周回って、

 

ほんとうに大切なんだと、

 

府に落としている今日なんです。

 

最初は、難しいものばかりを、、TOEFL勉強!ビジネス英語を!!

 

みたいな、そもそもキャッチボールすらできない野球チームが、

 

大阪桐蔭に勝てるのか、というレベルの話で、

 

基礎すらできない人間がどうとにもなるわけがないということなんです。

 

自分がどうやったらストレスを減らして、触り続けることができるのか。

 

1日5分でも10分でも無意識にでも

 

英語というものを日常生活の一部というレベルで作ることができるのかを

 

考えることが大切なんですね。

 

今現在勉強としては。。。

 

リスニングは、洋画日本語字幕と英語字幕)、洋楽

 

リーディングは洋書(簡単なものから)、英語の辞書

 

ライティングは英語日記、Twlitterに投稿

 

スピーキングは英会話、独り言

 

と、インプットを行うことが多かったから、

 

英会話を初めて徐々にアウトプットという

 

ものに変わっていってる今日この頃で。。。

 

どのくらいTOEICTOEFLの点数が上がっているかはわからないんだけども。。。

 

(11月にTOEICを受ける予定です)

 

点数という側面じゃなくて

 

自分の行動というものをみたら、

 

だいぶ成長できてるのかなぁ。。。

 

なんて。。。

 

過信してしまったらごめんなさい。。。

 

と思ってしまう自分で。。。

 

続けることから見方が変わる

 

結局なにが言いたいのかというと、

 

続けることができるということから、

 

繰り返せばできるという、

 

物事への取り組み方が変わるんです。

 

あたりまえだけども、

 

そもそも、一回聞いてやれる人は、

 

それ以前の過去に積み上げてきている努力があって、

 

その表層しかみてなかったから、

 

自分はできないんだという観念にとらわれていた、

 

過去の自分がいたわけであって。。。

 

努力から逃げていたんだろうなぁ。。。

 

見方が変われば思考と言葉と。。。

 

英語を学ぶということを通して、

 

生活期のリハビリというものの見方が変わって、

 

その人個人の能力に対して、

 

習慣というものを作りあげること、と、

 

同じことを繰り返し行うことで、

 

予後予測が

 

ポジティブなものになるんじゃないかと、思うようになった。

 

そして実際に、

 

良くなっている人たちもたくさんいる。

 

認知症と言われている人たちでも、

 

繰り返し物事を練習すれば、

 

覚えられるようになる人も、

 

出来なかったことができるようになる人もいる。

 

今はできないけど。。。

 

きっと、努力さえすれば、

 

3か月後には、、、

 

6か月後にはよくなってるって、

 

想えることが増えたし、

 

そして、

 

努力している人の

 

行動と思考から、

 

ぜったいに良くなっていくってと思う。

 

人を見る目線も変わっていく。

 

行動をみて、

 

良くなる前提で物事を提案できる。。。

 

今、この瞬間、自分のやっていることが

 

一見、別のものとかけ離れていても、、、

 

もっと、おおきな視点から見れば、

 

別のことにも物事というものは、

 

つながっていて、

 

そして、

 

一つのことだったり、

 

今、目の前のことに向き合っていくことを通して

 

自分の見方が変わって、

 

そして、一人の人でも自分と出会って、

 

変わってくれた人がいたんだったら、

 

ほんとうの意味で世界を変えたといえるんじゃないだろうか。。。

 

やってるうちは辛いけども辛いことのなかに、

 

おもしろいことがたくさんあるんじゃないのか。。。

 

ちなみに、英語はまったく話せません。

 

これからできるようなりますように。。。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。。

あのひと、認知症だから。

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私はデイサービスでリハビリという立場で、

 

働いているんだけども、

 

午後のリクリエーションをする前に、

 

20人~30人ほどの、

 

利用者さんの前で、

 

体操をやることが多い。

 

その時に、かならずといって

 

良いほど、

 

認知症』の診断がついている、

 

それと、

 

その疑いにある人達が、

 

「つかれるからやらない」

 

とか、

 

「窓あけてっと寒いか閉めて!」

 

とかとか、

 

挙句の果てには、

 

急に立ち上がって、みたりとか、

 

脈絡のないことを大きな声で、

 

言ってみたりとか。。。

 

こころに余裕のあるときは、

 

笑い飛ばせるんだけども、

 

時間に追われていたりとか、

 

体調が思わしくないときは、

 

いらっとしてしまったりすることが、

 

あって、

 

やっぱり、

 

いらっとすることっていうのは、

 

自分の常識の範囲を超えること、

 

自分の物差しみたいなものでは、

 

その人たちの感覚がわからないから、

 

そもそも、

 

そのような人たちって、

 

どのように考えてんだろうって、

 

疑問に思って、

 

一冊の本を読んでみたんです。。。

 

医師、長谷川和夫とは

 

著者の長谷川和夫医師は、

 

認知症』の診断の物差し、となる、

 

長谷川式簡易スケールを開発した、

 

認知症医療と、ケアの第一人者として、

 

知られる、長谷川和夫先生で、

 

『痴呆界の長嶋茂雄のような、存在。

 

認知症と名付けたのも、

 

長谷川先生で、

 

そんな、認知症の専門学医、

 

自身が

 

認知症になった立場で、

 

本を執筆され、

 

認知症になった人の気持ちが、

 

ありのままに、

 

綴ってあります。

 

認知症とはそもそもなんだろうか。

 

認知症の定義としては、

 

『青年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態』

 

認知症でも、原因と症状というのは、様々で、

 

大きくわけると、

 

アルツハイマー認知症

原因:脳内に異常タンパクがたまって、血流が行かなくなってしまい起こる。

症状:昔のことは覚えているが、最近のことは忘れてしまう。緩やかに進行。

 

②脳血管性認知症

原因:高血圧や糖尿病などの生活習慣病

症状:脳血管障害によって、引き起こされる。障害部位によって症状は様々。

 

レビー小体型認知症

原因:レビー小体という異常タンパクがたまり、脳神経細胞が破壊されて起こる。

症状:幻視、幻聴、手足のふるえ、筋肉が固くなるなどパーキンソン病と似た症状。小刻み歩行で転びやすくなる。

 

④前頭側頭型認知症

原因:前頭葉、側頭葉の委縮。

症状:怒り易くなったり感情の抑制がきかない。ルールが守れないなど社会性低下など。

 

 他にも、

 

 MCI(軽度認知障害)といって、

 

日常生活に障害をきたしていないけども、

 

認知機能機能が低下している人のことで

 

2012年に認知症の診断を受けたのが462万人に対して、

 

MCIの人は400万人とされているとのこと。

 

長谷川和夫医師は、嗜銀顆粒性認知症(しぎんかりゅうせいにんちしょう)といって、

 

進行は比較的緩やかで、物忘れのほか、怒りっぽくなると、

 

言われているようです。

 

認知症の本質は、今までどおりの日常生活が送れないようになること。

 

やはり、先生自身も、

 

自分言っている言葉が、

 

時折、

 

はちゃめちゃになったりしているようで、

 

読売新聞編集委員の猪熊律子さんと、

 

共同で、執筆にあたっている。

 

長谷川先生、曰く、

 

人間の本質は変わることなく

 

昨日の連続の中に今の自分がいて、

 

好きな読書も、音楽も、絵も、

 

変わらない。

 

ただ、

 

1日のなかで、

 

朝は調子が良くて、

 

昼から夕方になってくると、

 

疲れて、頭に入らなくなって、

 

足も動かなくなってきたり、

 

言われたことを忘れてしまう、

 

でも、

 

人格は突然変わらないし、

 

昨日と連続した、

 

今日の自分が、

 

居続けていて、

 

人間の本質は、

 

今も昔も同じで変わらない。と。

 

でも、少しずつ、

 

足が動かなくなってきたり、

 

記憶が飛んだり、

 

確かなことに疑いを感じたり、

 

苦しい、つらいと思うことが増えて

 

生活を送りにくくなっているんだ、と綴られていた。

 

記憶がなくなっていくことがなによりも怖い。

 

私は昨日の記憶が確かであると、

 

認識している。

 

10分前に話したことも、

 

すべて自分の記憶が確かだという、

 

世界の中で生きていけている。

 

でも、認知症の人たちは、

 

その文脈というものが損なわれていて、

 

その苦しさの中で生きている。

 

毎朝起きた時に、

 

知らない人に声をかけられて、

 

知らない人が自分の名前を知っていて、

 

知らない環境に囲まれている。

 

わたしは記憶の中で自分というものを認識できていて、

 

好きな人や、

 

好きな場所とか、

 

そんなものを選べている。

 

そして、その中で

 

生き続けることができていて、

 

それも記憶というもののおかげ。

 

そして、その、記憶という名の経験があるから、

 

成長ができている、

 

という実感につながっているのかもしれない。

 

記憶があるから意味がみつかるんじゃないか。

 

多分、あたりまえなのかもしれないけど、

 

いま、自分には

 

過去の記憶がある。

 

ということはあたりまえで、

 

過去、私がいじめられた経験も、

 

高校受験の志望校に落ちた経験も、

 

野球でうまくいかなかったことも、

 

昨日の食べたごはんも、

 

さっき読み終えたこの本も、

 

すべて、過去起きたことすべてに、

 

意味付けができているから、

 

今の自分がいる。

 

なりたい自分になろうと、

 

ありたい自分であろうと、

 

思えている。

 

これからも

 

頑張ろうと思えている。

 

生きているという実感がある。

 

でも、認知症の人たちは、

 

家族と話したこと、も、名前も、

 

過ごした時間も、

 

隣人との会話も、

 

過去好きだった趣味も、

 

その瞬間、事象を覚えていることもできなくなる、

 

意味を持つことが出来なくなる。

 

今から見た過去がいなくなっていく。

 

だから、自分が今なにをすればいいか、

 

わからなくなる。

 

記憶がなくなることは、

 

今この瞬間、なぜ、なんのために、

 

自分は生きているのか

 

わからなくなる。

 

そんな感覚を知ろうと、

 

することができたら、

 

記憶がない人たちの言葉や、

 

恐怖に、

 

耳を傾けられるし、

 

共感もすることが

 

すこしでも、できるのかもしれない。。。

 

ボクが認知症であることを公表した理由は

 

「自分自身がよりよく生きていくため」

 

といってよいだろうと思います。

 

自分が生きているあいだに、

 

人さまや、社会のために、

 

少しでも役に立つことをしたい。

 

役に立てるかどうかはわからないけれど、

 

認知症のありのままを伝えたい。

 

それが生きていく道だと思ったのです。

 

 

 認知症なんてものはただの言葉であって、

 

ひとくくりにできるようなものではない。

 

すべての人は自分とは違う経験をしてきた人間、

 

記憶があるなしとか、

 

そんなことではなくて、

 

一人の人間として、

 

そんな、人たちの世界観を共感していけたら。。。

 

 

完璧な文章を書きたい。

 

 

私はいろいろな経験をしてみたいと思っている。

 

でも、

 

私はこれまでに1番を取ったことがない。

 

しいてゆうなら、

 

野球のスポ少に所属したころは、

 

ピッチャーで背番号を1番をもらったくらいで。。。

 

それ以外、1番を経験したことが、ない。

 

でも、中高の野球部では(控えだった)

 

学校のテストでも(中の上くらい)、

 

徒競走でも(3番か4番くらい)、

 

今まで、、、なんでも、

 

1番というものをとったことがなくて、

 

ふかーく考えることをしてこなくて、

 

その、

 

おおざっぱな自分の性格に関係しているのかなぁ

 

なんて、やっぱり、こういうとき、

 

よくわからない理由をつけて、

 

自分の見方をマイナスに、

 

そんな見方をして、

 

軽い竹棒で、

 

つっついて攻撃する、

 

そんな

 

自分がいてしまう。。。

 

細かいところまでを伝えるのが苦手である。

 

私はすごーく、おおざっぱで、

 

文章を書いてても、

 

細かいところまで

 

書くことが苦手で、

 

やっぱり、いろいろな人の

 

ホームページやブログを見てみると、

 

すごくきれいに、まとまってて、

 

もう、適切で、きれいに、まとめてあって(くりかえし)

 

その影響も受けて、

 

ワードプレスとかも始めたいなぁ

 

なんて、思ってはいるんだけど、

 

システム上の方法論は置いておいて、

 

とりあえず今は、習慣化できるまでは、

 

こはちょっとおいとこうなんて、

 

思っている最中で。。。

 

完璧な文章にしたいとは思ってはいたけど。。。

 

自分の書いている文章が、

 

やっぱり主観的に読むと、

 

伝わりやすいものなのか、

 

不安だったりもして、

 

やっぱり、なんでも、

 

やり方っていうのは、

 

学ばなきゃいけないって思って、

 

初めて文章というものを学ぶために、

 

本を買ってみたんです。

 

そもそもなぜ文章を書くのか。

 

やっぱり、ブログを続けていくうちに、

 

文章ってなんだろうか、と

 

書きながらも見失うことがあって、

 

どんなふうに書くのがいいのかなぁとか、

 

もっと文章を完璧にしたいなぁ、なんて、

 

思っていたけども、

 

そもそも文章の本質というものは、

 

読ませるために書くものではなく、

 

行動させるために書くものだ。

 

 

 が、メンタリストDaigoさんの

 

答えみたいなんです。なるほど。

 

大事なことは、行動させるために、書くものが文章であって、

 

ブログという媒体では、

 

完璧に書いた文章が、

 

人の行動を変えられるか、というと。、

 

本質から、ずれてしまうんですね。

 

人の行動にいきつく文章とはなんなのだろうか

 

読んでいくと、、、

 

ひとの行動に行きつくための文章には

 

3つの原則があるみたいで、

 

原則1 あれこれ書かない

 

原則2 きれいに書かない

 

原則3 自分で書かない

 

大事なことは、、、

 

ようするに、

 

原則1 伝えたいことは1つに、

 

原則2 論理ではなく感情を、

 

原則3 だれが読むのかをイメージして、

 

書くっていうことみたいです。

 

誰が読むのかをイメージしてっていうところが、

 

まだ、やり切れてないような気がして、

 

自分の書きたい文章を書いているような、

 

感じがして、少しずつ、

 

改善していきます。。。

 

文章も人間も完ぺきではないものに魅力を感じるのではないか。

 

やっぱり、なにかに、取り組む以上は

 

完璧に、こなしていきたいと思って、

 

最初から、最後まで、

 

使っている言葉の意味は

 

間違ってないかとか、

 

句点がおおいなーとか、

 

そんなことを思っていたけども、

 

そうではなくて、

 

どんなことを伝えたいかっていうことを、

 

こころをのせて

 

ありのままに書くと、

 

伝わりやすくなるんじゃないか。

 

論理も大事だけど、

 

論理以外のなにかみえないチカラみたいなものが

 

くずれているものから、

 

伝わるのかなぁ、

 

なんて、そんなことをこの本から、

 

学びました。(テクニックとかもたくさんかいてありますよ)

 

して、思ったことは、

 

文章も人間も、本質は同じで、

 

感情を揺るがすような人は、

 

ワンピースのルフィとか、

 

ナルトとか、(漫画がわからない人はごめんなさい)

 

未完成な人たちに魅力を感じることがあって、

 

がんばってほしいっていう、

 

想像が、

 

感情を動かされてしまうのかもしれない。

 

完璧を目指すけど、

 

完璧になりきれない自分を、

 

認めてあげられたら。。。