それでも生きる。

デイサービス勤務の理学療法士がゆるくて、ふかーい、人生哲学を発信していきます。

あたりまえだろ。

 1年が経ちました。

 

去年の今頃に、

 

以前勤めていた病院を辞めて、

 

1年が経ちました。。。

 

辞めた自分の決断は正しかったのか。。。どうか。

 

は、これからまだまだ、

 

わからないけども、

 

少なくとも、

 

この1年は短かった、なんて言えなくて、

 

今でも頭痛が出るくらい

 

辛いことが多くて、

 

でも、

 

振り返ってみると、

 

この1年間は、

 

チャレンジしたことがたくさんあって、

 

全く、

 

自分の選んだ道を後悔なんて

 

していない自分がいる。。。

 

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変化はほんとうに怖い。。。

 

以前の職場を辞めるときは、

 

ほんとうに、これからは、

 

大丈夫なのかと、

 

不安に思っていたのを覚えている。

 

少し、ノリと勢いもあったけど、、

 

でもやっぱり、

 

不安は強くあって、

 

親がやっている、デイサービスで、

 

働くっていう、

 

決断をした、3年目のまだなにも、

 

仕事も板についてないような、

 

未熟な、ペーペーの

 

理学療法士が決めた決断っていうのは

 

当たり前だけども、

 

病院という環境では、

 

理解され難くて、

 

ある一人の上司に相談したら、

 

案の定、

 

めためたの、こったこたに、

 

絶対、やめたら後悔するという、

 

風に言われて、

 

後悔する、しない、を決めるのは

 

私であって、

 

なぜ、後悔することを、

 

決めつけられなければならないのか、

 

よくわからなかったけど、

 

否定されまくったら、

 

さらに、怖くなって。。。

 

しかも、

 

これをしたい、っていう

 

これからこんなことをやってみたいって

 

想っているような、

 

本質的な話しなんか、聞いてもらえるわけなくて

 

それで、

 

ずーっと、悶々としていたのを

 

覚えてる。

 

そのあとに、あらためて、

 

ほんとのほんとに、人として尊敬している上司の方に、

 

相談したら、

 

業務後のくらーい、廊下で

 

時計の針は8時を回っているのに、

 

たくさん、

 

話を聞いてくれて、

 

涙、涙で、言葉にして、

 

本質的な言葉がたくさん出てきて、

 

しかも、

 

その言葉の背中を押してくれて、

 

あらためて、

 

辞めるという決断に至ったこと、

 

を今でも覚えている。

 

この一年は変化が大きい一年で。。。

 

この一年間はやっぱり、

 

デイサービスで働く。

 

出張整体にチャレンジしてみる。

 

アメリカに渡って、現場をみて、アスレチックトレーナーという仕事にあこがれる。

 

それで、英語を勉強している。

 

ブログという媒体で自分の想いみたいなものから、発信はする。

 

という、日々、新しいことにチャレンジするということの連続と、

 

自分のできないとい思い込みをなくすって

 

いうものをひっくり返している最中で、

 

去年の今から、

 

1年経った今日まで振り返ると、

 

過去の自分とはまた違う自分で、

 

自分で、自分の道を選べてる

 

なんて、思って、

 

当たり前のことだけど、

 

当たり前の考え方みたいなことが

 

出来ていなかったなんて思って

 

いる、今日この頃で。。。

 

 

一年経って、一番変わったことは。。。

 

一年経って、

 

一番変わったことは、

 

比べている対象が変わってきている、って、

 

思っていて、

 

んで、

 

その、比べているものっていうのが、

 

『周り人間 対 自分』ではなくて、、

 

『過去の自分 対 現在の自分』 

 

というものに変わってきてる。

 

物療の機械を深く勉強して使えるようになったり、

 

以前読めなかった、簡単な洋書が読めるようになったり、

 

まだまだ、できないことはたくさんだけど。

 

新しい環境を選んで、

 

自分で選んだという責任が、

 

自分を育てているのかもしれない。

 

今いる場所の自分を客観視するようになった。

 

比較対象が、

 

『過去の自分 対 現在の自分』 

 

というものへ、だんだん、変わってきているのも、

 

環境の変化というのが大きくて、

 

いろいろなことに

 

チャレンジさせてもらえるような

 

環境、

 

当たり前みたいなことを

 

押し付けられないような

 

環境、

 

だからこそ、

 

余計な、

 

自分とはまったく違う人たちの

 

枠にとらわれないように

 

生きていけているのかもしれない。

 

以前、いた環境と、

 

今、いる環境の中で、

 

やり方も、あたりまえも、全く違くて、

 

そんなことを考えると、

 

当たり前とはなんだろうか。

 

って思うこの頃でいる。

 

あたりまえとは、誰かが決めたルールや物差しでしかない。

 

そんなことを考えると、

 

当たり前とは、誰かのルールや、物差しでしかなくて、

 

必要なことは、

 

その枠の中にいる人たちの決めた

 

見方や価値判断が

 

自分にとっては、

 

自分らしく在れているのだろうか、と、

 

自分は成長できるんだろうか、と、

 

疑問を持つこと

 

今の自分を見直すことに大事なのかもしれない。

 

そのあたりまえな見方が

 

自分にとって、

 

自分だったり、その周りの人たちも

 

成長できるって思えるような、

 

ルールや物差しであるような

 

場所にしていこう。。。

 

自分たち地球が
 
宇宙の中心だと考えているという考えに
 
かじりついていた間
 
人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に
 
自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、
 
世の中の本当のことも、
 
ついに知ることができなくなってしまう。
 
大きな真理は、
 
そういう人の目には、うつらないのだ。 

 

自分のあたりまえは、相手にとってのあたりまえではない

 

自分はもしかしたら、

 

おかしいのかもしれない、と

 

一歩引いて、自分を見ていこう。

人生を変える1冊との出会いを。

 読書の時間|無料の写真素材はフリー素材のぱくたそ

 

私自身、本は、月に5冊以上は読んで、

多いときは10冊くらい読むときがあります。

 

それはなぜかというと、

自分の心は弱いから。で、

 

つらくて倒れたときに、

また、立ち上がるためにも、

 

本にしがみつくようにして。。。

 

読んでいます。

 

コロナの時だからこそ。。。

 

これからへの不安しかない方、

 

新しいことにチャレンジをしている方とか、

 

それ以外の人にも、ぜひぜひ

 

読んでほしい作家、

 

喜多川 泰氏の書籍を紹介します。

 

 

’98年に横浜で、笑顔と優しさ挑戦する勇気を育てる学習塾「聡明舎」を創立されています。

 

人間的成長を重視した、まったく新しい塾として地域で話題となる。

 

その後は、作家として活動されており、全国で講演会を行い、指導者への教育も行っている方です。

 

 喜多川泰氏の人生を変える おすすめ3冊

 

デビューから2冊目の君と会えたからでは、10万部、「また必ず会おう」と誰もが言ったでは12万部、手紙屋、手紙屋雪蛍編、運転手など、計85万部を超えるベストセラー作家となっています。

 

「喜多川ワールド」と呼ばれるその独特の世界観は、小学生から80代まで幅広い年齢層から愛され、その影響力は国内に止まらず、現在は多数の作品が台湾・韓国・中国・ベトナムでも翻訳出版されています。

 

今回紹介する3冊以外にもたくさんおすすめの本はありますが、

私の独断と偏見で選ばせていただきます。。。

 

1冊目「また必ず会おう」と誰もが言った。

あらすじ

高校生の秋月和也は嘘つきでプライドが高い。

冒険はクラスメイトへの嘘から始まる。。。

その嘘のつじつまを合わせるために、親へ嘘をつき、東京へ一人で行くことに。

しかし、帰りの飛行機に間に合わず、空港に一人で残ってしまう。。。

そんなときにある女性と出会い、たくさんの人たちの力を貸りて、実家の熊本へ向かうことに。。。

 

感想

主人公が、ハプニングというものから、

ハプニングを楽しむ旅に変わっていく。

そして、その中で、出会う人たちの言葉で、

主人公の思考が、行動が、人格が、変化していく姿に心を打たれました。

 

ポイント

人との出会いの大切さ、

人からもらう言葉の影響力、

今、この瞬間は本気で生きることの大切さを教えてもらえる一冊です。

 

ええか、兄弟。おまえの人生はおまえのもの。

すべてお前の責任で起こる。

相手が大人だろうが、先生だろうが、

いいなりになってなにかを手に入れようなんて思ったところで

おまえはおまえらしさを失う、

そして、それによって起こることを自分のせいじゃなく、

他人のせいにして生きる。わかるか?

 

 

 

2冊目 ソバニイルヨ

あらすじ

勉強が嫌いで、周囲の目ばかりを気にして

日々過ごしている隼人。

さらに、些細な出来事がきっかけで、

仲の良かった友達との関係がもつれ、

孤立することになってしまった。

 

ある日、自分の部屋に帰ると、

そこには見慣れぬ大きな物体が。。。

それは、長期不在になる父親が残していった

ロボット・ユージだった。。

 

感想

主人公がいじめという経験を受け、

苦しんでいる姿に、過去の自分を投影してしまいました。

いじめを受けた経験から、なにを学ぶのか

人生で起こるすべてのものこそ勉強になるんだと、

この一冊を通して感じさせられました。

中学生の時に、ロボット・ユージに出会いたかったと、

想えるような物語です。

 

ポイント

学ぶということはどういうことなのか。

今が苦しい、と思っている人が

自分らしく生きることの勇気をくれる、一冊です。

 

人にはすきなことを言わせておけばいい。

これをやったら人からどういわれるか、

こんなことを言ったら、人がどう思うか……。

そんなことを気にしてばかりで、

自分の人生でやりたいこともやらずに、

言いたいことも言わずに人生を終えていく人が

たくさんいる。

すごくもったいない。。。

・・・

たった一度だけの人生。

隼人は、他の誰かの価値観に合わせることに費やすんじゃなくて

自分の価値観にもっと正直に生きるべき。

 

 

3冊目 「手紙屋」~僕の就職活動を変えた十通の手紙~

あらすじ

就職活動に出遅れ、就職に思い悩む大学4年生の僕は、

とあるカフェで奇妙な広告と出会う。

10通の手紙をやりとりすれば、

夢を実現させてくれるというのだが。。。

 

主人公が手紙屋とが10通のやりとりを通して成長していく物語です。

 

感想

仕事に追われていて働くことが辛いと思っているときに読みました。

改めて働くことの意味を知り、歩みを止めない自分でい続けることが出来ました。

働くことがつらい、なぜ働く必要があるのか。。。

お金とはなんなのか、学生の時に読んでおけばよかった。

とも思いました。

仕事をすることの意味お金の本質を教えてくれる物語です。

 

ポイント

なぜ仕事をするのか。お金とはなんなのか、

学生、転職を考えている方、日々の仕事に追われている社会人の方

にもおすすめの一冊です。

 

人生の目標を持った時から、

 

あなたの人生が始まる。

 

目標をしっかり持てば

 

“今日を生きる”という確固たる生き方ができる。

 

 

本には、今、この瞬間を変える力があります。

 

行動を起こそうかどうか、

 

迷ったとき、、、

 

人間関係で悩むとき、

 

家族のことが気になるとき、、、

 

悩みで心が張り裂けそうなとき、、、

 

そんなときに、助けてくれるのは

 

いつも、大好きな友人、同僚、

 

家族や、

 

恋人だったり、

 

そこには必ず誰かの言葉があります。  

 

本も同じで  

 

こころに問いかけてくれるような

 

行動を変えてもらえるような

 

言葉が   たくさんあります。

 

喜多川泰さんの本を通して、

 

人生を変えるような、   そんな経験をしてみませんか。    

『悔しい』からあふれ出てくるもの。

 ウォーキングアイコン1 | アイコン素材ダウンロードサイト「icooon ...

 

私は小学生のときは、軟式野球スポーツ少年団

 

入っていて、

 

私は、そのチームの

 

ピッチャーをやっていて、

 

私が言うのもなんだけども、

 

そのチームはめちゃくちゃ、

 

とんでもなく弱くて、

 

しょっちゅう負けていたのを、

 

覚えている。

 

私は、泣き虫で、

 

試合に負けるたびに、

 

泣いて、

 

ゆーたら、

 

練習試合でさえも、負けては

 

泣いて、

 

今思えば、

 

なんであんなに泣いていたんだろうって、

 

思うくらい、

 

泣いていた。。。

 

監督、親、の顔色を伺うため、怒られないための表現として泣いていた。

 

監督と親に、怒られるのが怖くて、

 

監督もよく、選手たちに

 

『おまえら、くやしくねーのか?』

 

とか、

 

『おまえら、勝ちたくねーのか?』

 

とかとか、

 

多分どこのチームでもあると思うんだけども、

 

悔しいと思うことを、

 

強要されているような、

 

悔しいと思うことが、

 

選手に美徳だと、

 

いわば、監督的には、

 

子供たちに、

 

負けること=悔しいと思わせる、

 

押し付けを行っていたのかもしれない。

 

そもそもの話で、

 

悔しいと思うことが、なににつながるのか。

 

そもそも、なんで悔しいって思う必要があるのかが、

 

わからなくて、

 

でも、わかったふりをしないといけないから、

 

私なりに、悔しいことを表現することの、

 

手法として、

 

泣くという表現と、

 

一応、親にもみられているだろうから、

 

自主トレみたいな、そんなことを、

 

三日坊主でやっていたという

 

そんな行動を取っていたんだと、

 

今思えば、そんな風に思う。

 

やらされているような、努力しかしてこなかった。

 

当時の私は、おもしろいくらい、

 

自主練なんて、続かなかった、

 

無意識にやらされているような、

 

努力をしていて、

 

別に、

 

それが悪いというわけじゃないけども、

 

自分で、考えて、

 

自主トレなんてしなかった。

 

めんどくさいって思ってた。

 

多分、今思うと、悲しいことに

 

本気で悔しいなんて思っていなかったんだと思う。

 

レオ少年に未来の26歳のレオが

 

これを言ったら、

 

多分、泣いて怒ると思う。

 

『考える』ということをしてこなかった。

 

そんなこんなで、

 

野球を初めて、

 

小、中、高と11年間経って、

 

野球をやって、

 

中、高も結局はレギュラーにはなれず、で、

 

悔しいと当時は思い込んでいたけども、

 

本気で努力していたか、

 

24時間野球のことを、

 

考えられていたか、

 

と思うと、

 

そんなことは全くできていなくて、

 

練習から、帰ってきても、

 

今日も、辛い練習が終わった。

 

と、その場を乗り切るような、

 

そんな毎日で、

 

いかに、楽ができるか、とか、

 

どうやったら、

 

体力が温存できるか、とか、

 

そんなことしか考えていない、毎日で

 

試合でエラーした、打てなかった、のは

 

悔しいけど、

 

そのために、自分がなにをすべきかという、

 

自分の課題みたいな、

 

そんなものを深く考えるようなことはしていなかったんだと、

 

今、思う。

 

悔しいがあふれ出る瞬間にでてくるもの

 

今、26歳になって、

 

自分が悔しいと思うことの毎日で、

 

悔しいっていうのは、

 

人とのコミュニケーションでも、

 

仕事でも、

 

勉強でも、

 

なんでもそうなんだけど、

 

自分ができないって思うことがたくさんあって、

 

でも、できないって思うことは、

 

自分には、たくさん、努力しなきゃいけないって、

 

思うっていう課題がたくさん見つかるっていうことであって、

 

センチメンタルにもなるんだけど、

 

でも、

 

そのセンチメンタルがあるから、

 

その悔しいっていう感情があふれ出て、

 

努力、という行動につながっていくのかなぁ

 

なんて、そんなことを思う。

 

その行動も、

 

容量が悪くて、

 

から回っちゃってたり、

 

することも、多いと思うんだけど、

 

多分、人それぞれ、

 

得意、不得意があって、

 

自分だと、

 

その、得意、不得意すらも、

 

わからないから、だから、

 

とりあえず、

 

やってみて、

 

自分を探す作業じゃないけど、

 

自分はそんな風にしてみるのが

 

いいのかなぁなんて、思う今日この頃で。

 

ちょっとずつだけど、

 

考えるっていう作業も

 

できてるのか。。。どうなのか。。。

 

基準があいまいでよくわからないけど、

 

考えることも大事だけど、行動だけは、止めないようにしていこう。。。

 

ありがとうございました。

 

 

コロナのちから

 近未来的に映るニューヨークの夜景|無料の写真素材はフリー素材のぱくたそ

 

世間はコロナコロナコロナと、

 

コロナという言葉が、

 

今日の調子はどうですかって、

 

利用者さんの体調を聞く以上に

 

言ってるんだなぁと、思う今日この頃。

 

リハビリをやっていても、

 

コロナっていう言葉はかわいいけども、

 

ネガティブな会話をたくさん、

 

聞くようになって、

 

実際にニュースでも、

 

自分がかかったら、うちの利用者さんたちを殺してしまうっていう、

 

やっぱり、

 

自分だけならいいんだけど、

 

100%自分が悪いっていう状況を作りたくなくて、

 

だから、

 

今日も、家でひっそりと、

 

こうやって、かたかたと

 

文章を打っている自分がいる。

 

ゴールのないマラソンを走っている感覚。

 

やっぱり、

 

これからどうなるんだろうって、

 

ゴールの見えないマラソンみたいな、

 

そんな毎日が続いていて、

 

英語を勉強していても、

 

いつ、動き出せるんだろうって、思うことが多くて、

 

同じ家という環境でしか、

 

いつも家だけども、

 

それでも場所を変えて

 

勉強ができないことにも、

 

ストレスを感じたりする。

 

んで、いったん距離を離そうって、言う

 

彼氏みたいな、、、

 

そんなことは今までしたことないんだけど、

 

そんな感覚になっているんだろうって思う。

 

今年はうまくいかない。。。

 

今年は、

 

今年の4月から、フィリピンへの語学留学を予定してて、

 

目的はアメリカの大学院留学へ向けての

 

TOEFLの点数を上げるためのもので、

 

モチベーションをあげるようにしてたんだけども、

 

それが出来なくなって、

 

勉強会、講習会の予定も全部なくなって、

 

人と会って話す機会が、

 

めちゃくちゃ減って、

 

今年はうまくいかない、と思って、

 

いたんです。。。

 

ほんとうに、うまくいかないと思っていることは悪いことなのだろうか。。。

 

私は不器用だから、できるだけ、ひとつのことだけに、

 

集中することが大事だと思い込んでいて、

(それも大事なんだけど。。。)

 

だから、他のことはやらない、

 

みたいな、ちょっと頑固な子供みたいな。

 

でも、それが自分へのストレスになっていて、

 

逃げる場所を閉ざしていて、

 

しかも、

 

スタバにいけない、

 

人と話せない、

 

勉強会の予定全部キャンセル。

 

家からでれない。。。

 

嫌だ。。。呪われてる。。。

 

今年はうまくいかない。

 

と、思い込んでいたんだけど、

 

うまくいかないことって、本当に悪いことなのだろうか、

 

お風呂でシャワーに浴びているときに、

 

悟りを開くような、

 

開いたことはないんだけども、

 

ふと思ったわけで。。

 

うまくいかないと感じたからこそ、ブログを書くということにも出会えた

 

見方を変えると、、、

 

うまくいかないときだからこそ、

 

その環境を利用して、

 

できることや、

 

新しいことにチャレンジすることって、

 

たくさんありそうで、

 

今までは、本を読んだことがなかった人は、

 

本を読める。

 

一息ついて、

 

自分と向き合う時間も作れる。

 

子供との時間をとれてなかったと、

 

思っていた人は、

 

家庭の時間が増える。

 

在宅ワークをしたいなぁと思っていた人は

 

ブログとか、

 

プログラミングとか、

 

動画配信とか、

 

そういうものにも出会える。

 

企業も、実は、出勤しなくても、良かったような仕事も、

 

リモートワークでできるようなことが増えて、

 

これからも導入されていく。

 

もっと、効率的に、なっていく。

 

一見、外に出れなくてストレスにようなことが、

 

実は、環境、状況というものが変わることで、

 

今まで見落としていたものが、

 

私たちの時間が、

 

より効率的に

 

なっていくことにも、

 

つながっているのかもしれない。

 

そもそも、人生に、プラスも、マイナスも、そんなものはないんじゃないか。

 

今、たくさんの人たちが、コロナウイルスに感染して、

 

亡くなってる。

 

これは圧倒的にマイナス。

 

に思える。

 

でも、それをきっかけに、

 

世界という国境の壁みたいなものが少なくなっていって、

 

みんなで手と手を合わせて、

 

より、団結していけるようになったら、

 

もっと、世界は良くなっていけるようになるわけで。

 

コロナの時は助けてくれてありがとな、

 

みたいな。

 

そんなことが国同士でできたら。。。

 

もしかしたら、

 

中国とアメリカが手を結ぶこともあるかもしれない。。

(これは空想です。。。)

 

それは私たちも一緒で、

 

この状況だからこそ、極力、

 

人と会わずに、できることを考える。

 

んで、その、今新しいことにチャレンジした結果、

 

これから先の未来で、それを通して、

 

出会える、魅力的な人たちや

 

自分のスキルになっていくかもしれない。

 

それがコロナのちから、恩恵になっていることを願って。。。

 

本からできあがってます。

 

脳みその修正|脳を修理する人物|フリーイラスト|無料イメージ

 

私は高校時代、野球部員で

 

最後の大会で負けて引退試合をした後に、

 

そして、監督から、卒業生に

 

ある一冊の本を手渡されたのを、

 

今でも覚えている。

 

それは、

 

松下幸之助の『道をひらく』

 

 

 

という本だったんだけども、

 

もらった瞬間は『ふーーん』くらいの感覚で、

 

無関心だったような関心があったのか、わからないんだけども

 

なぜか、こころと記憶の片隅に、

 

今でも残っていて、あの本を監督からもらった時の

 

瞬間の、においとか、風景とか、

 

気温とか、そんなことも覚えていて、

 

これからも、

 

絶対に忘れないんだなぁって思う。。。

 

こころが挫かれたときに、本を読むきっかけが生まれた。。。

 

そのあとに、一回だけ道をひらくという本を読んでみたんだけど、

 

高校生の時の自分には、

 

感謝だの礼儀だの、素直だの、

 

まぁ、当たり前だよなぁくらいの感覚で、

 

特に面白さみたいなのはなくて、

 

一応、捨てるのももったいなくて、

 

そのまま自分の目の見えるところに、

 

置いといた記憶がある。

 

そして、大学生になって、

 

自分にとっては、衝撃的な出来事として、

 

覚えているのが、、、

 

100人受けて、2人しか落ちないテストに、

 

落ちたこと衝撃で、そのときに、よくわからないけど、

 

大きなショックを受けたことを覚えている。。

 

テスト勉強はそこそこしてきたけども。。。

 

高校生のころまでは、勉強はそれなりにして、

 

成績はまぁ、学校の中では中の上くらいでいて、

 

頭は良くなかったけども、

 

テスト前の準備はそれなりに行う方で、

 

学校という空間の中では、テスト勉強はそれなりにできると思い込んでいた。

 

でも、大学生になって、勉強のレベルが上がって、

 

でも、大学生という、

 

自由を満喫して、羽目をだいぶ外すようになってから、

 

準備を怠るようになって、

 

周りが頭の良い人たちと仲が良かったから、

 

自分を勘違いして、

 

遊びほうけて、

 

して、大丈夫だろうと思った矢先が、

 

100人中2人しか落ちないものに

 

自分が落ちたことだったんだと思う。

 

気づいたら、吸収力の悪い自分を崇拝するようになった。

 

もともとが卑屈だったから、

 

その出来事がきっかけで

 

さらに、キングオブ、卑屈になって、

 

自分の行動という、

 

自分自身がコントロールできるようなことに、

 

視点を当てることができなくて、

 

自分の能力が低い、

 

というよくわからない、目に見えない、架空の、

 

宗教みたいな、

 

そんなものを崇拝するようになっていて、

 

自分は能力が低いから、ダメなんだと。

 

勉強以外のことにもマイナスイメージをさらに持つようになって、

 

消沈し続けていた自分を覚えている。

 

自分の逃げ場が本という場所にあるのかもしれない。。。

 

 その時に、『俺はダメな奴なんだ~~』

 

みたいな感覚で、悩みに悩みまくった結果、

 

本に逃げたんだと思う。

 

そして、その本として選んだのが、

 

高校生の時に、監督からもらった、

 

『道をひらく』だった。。。

 

高校生の時に読んだ感覚とは全く別物で

 

言葉一つ一つが、新鮮で、

 

こころに浸透してって、

 

救われるような感覚になって

 

涙を。。。と流したのを覚えている。

 

その本の中の言葉をみて、

 

自分の思考が前を向かせてもらって、

 

転んだダルマが、やっと、また、むくっと、

 

起き上がるように、立ち上がって、

 

勉強をそれなりに、し始めたことを

 

覚えている。。。

 

私の思考は本で出来上がっている。

 

それから、社会人になって働くようになってから、

 

学生の比じゃないくらい、

 

悩むことや、辛いことが、とんでもなく

 

増えるようになった。

 

そんで、

 

自分の持つ才能に、悲観して、憎むようにもなったり、

 

人間関係というものや、

 

つらいこと、、、

 

そんなことから、逃げようとする瞬間が、

 

たくさんあって、

 

でも、そのとき、そのときに、

 

自分の悩みを解決してくれるのが、いつも本で、

 

しがみつくように、読んでいる。

 

自分がぱたーん!!

 

って倒れた時に、立ち上がる方法を教えてくれる。

 

本をたくさん読むごとに

 

ダルマみたいに起き上がるスピードも早くなってるって思う。

 

そして、悩むことが過去から、未来への悩みにも変わってる。

 

だから、

 

なにかで、悩んだり、困ったり、したときは

 

すぐに本屋にいって本を買おう。

 

身体が自分の食べたものでできているのなら、

 

思考は自分の読んだ本から出来上がっていくって思う。

 

いまでは、本のおかげで生きていけていて、

 

卑屈な私で、マイナスにもなることも多いけど、

 

前を向くことのほうが多くなってる。

 

今度、私のおすすめの本を紹介します。。。

 

本から出来上がっている、わたしです。。。

言葉の言の根

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私は言葉をまとめて伝えるのが苦手である。

 

依然の職場で、

 

無意識に自分の心が、

 

避けているような、

 

人がいて、

 

自分の伝えたいことを、

 

うまく伝えることができないなぁと思っていて、

 

よく、そんな人から、

 

『なにを伝えたいのか、

 

わからない。

 

だから、

 

頭の中でまとめてから、

 

わかりやすく話をして』と、

 

言われることがあったけども、

 

実際に頭の中で、まとめているつもりでも

 

なにか、相手に気を遣ってしまうのか、

 

表情を読んでしまうのか、

 

忖度ではないが、相手の表情や反応を無意識に、

 

察してしまい

 

相手はせかしているような感じでは、

 

ないんだと思うんだけども、

 

どうも、説明ができない。

 

おかしい。

 

なぜだろう。。

 

おかしい。。。

 

そんな、人と話しているときは、

 

心が、ぎゅっと握られるような、

 

風船を壁に割れるか、割れないか、

 

ギリギリのところで

 

圧迫されているような、

 

そんな感覚になってしまうような、

 

ことがあった。

 

いつも、なぜこうなるのだろうか、と、

 

よくわかっていなくて、

 

そんなときは私は言葉がまとまらない

 

できない人間だと思い込んでしまっていた。。。

 

人を変えてみると説明ができる。

 

そのあとに、いつも、話を聞いてくれる、

 

兄貴みたいな先輩がいて、

 

その人とはよく、勉強会とかにも誘ってくれたり、

 

一緒に行ったり、

 

プライベートなこととかも、たくさん話したり

 

するような人で、

 

仕事中も、

 

他愛ない話や、

 

雑談みたいなことも、

 

話してくれるような、そんな人で、

 

自分が、うまーく伝えられないような、

 

ことが、

 

伝えられる。

 

よくわからない、心と言葉の

 

フィルターみたいな、

 

そんなものを通さなくても、

 

言葉すーっとでてくる。

 

誰もいない公園に、走りたがる犬を自由に走らせてあげるような、

 

そんな感覚で、

 

話しているのかもしれない。

 

そんなときは、笑っている、まとまっている。

 

そして、説明がうまい。

 

なぜだろう、おかしいな。。。

 

本当の、心の底にある本質が言葉として生まれるのは、心の在り方が関わっているのではないんだろうか?

 

言葉がまとまらない人と対峙するとき

 

潜在意識に、なにか、

 

否定されること、上げ足を取られる、

 

とか、そんなことが刷り込まれていて、

 

うまく説明できないんだろうと思う。

 

多分、心が重い岩みたいに、川の中に、沈んでいくような

 

そんな感覚。

 

逆に、うまく説明できる人には多分、

 

なんか、わかってもらえたみたいな、

 

そんな共感があって、そして、

 

こうしたらもっと良くなるね。

 

っていうなんか、

 

心が、ふわっとなるような、

 

そんな感覚になれるような人たちなのかもしれない。

 

話していて気持ちの良い人たちの中には、

 

なにか、言葉の根っこの部分を察することが上手なのかもしれない。。。

 

言葉だけではなくて、言の根に共感できる人間になれたら。。。

 

言葉はきれいだけども、

 

行動と動機が伴っていないひとがいる。

 

でも、言葉はうまく無いけども、

 

行動と動機が伴っているひとがいる。

 

言葉だけじゃなくて、言の根っこの、本質の、部分。

 

たくさん説明しなくても、

 

その人の、素性とかそんなところを見て、

 

少ない言葉でも、

 

言の根っこの部分を察することができて、

 

共感できるような、

 

そんな人になりたい。。。

 

人物観察法 ~視・観・察~

 

第一、人の外部に顕われた行為の善悪正邪を相し

 

それよりその人の行為はなにを動機にしているものなるやと篤と観

 

さらに一歩を進めて。その人の安心はいずれにあるや、

 

その人はなにに満足して暮らしてるや等を知る

 

・・・・

 

ゆえに行為と動機と、満足する点との三拍子が揃って正しくなければ、

 

その人は徹頭徹尾、永遠まで正しい人だと言いかねるのである。

 

論語と算盤~ 渋沢栄一より

 

 

視・観・察の目を持つ努力を。。。していこう。。。

 

以上まる

ないものねだり

 ドレッドヘア|シルエット イラストの無料ダウンロードサイト ...

 

私は自分の髪の毛がコンプレックスである。

 

私は、中学、高校の時は野球部に入っていて、

 

だいたい、6年間は、

 

ずーーっと、髪の毛は坊主で、

 

中学の野球部では、たくさん、部員同士や

 

試合中のミスやらなんたらで、

 

問題を起こし続け、

 

問題を起こすたびに、

 

部員内で反省の証として、

 

髪の毛を五厘にしていた。のを覚えている。

 

ひどいときには、月に一回は

 

五厘にしていたんじゃないかって、いうくらい、

 

たくさん坊主にし、

 

頭がなかなか、黒くなっていかなかった記憶がある。

 

ほんとうに髪の毛がちりちりなのは、全部、坊主のせいなのか。

 

私は、髪の毛がちりちりである。

 

小学生の時から、前髪が伸びなかった。

 

そして、髪の毛が伸びないのは、

 

父親がちりちりの天然パーマのせいだから、

 

でも、ある。

 

だから、

 

父親の天然パーマ+6年間の坊主生活というのは、

 

私の髪の毛にとっては、

 

相当ダメージになった。

 

『遺伝』と『野球部における環境的な要素』

 

それと、シャンプーしかしてこなかったという

 

たくさんの要因が絡み合った結果

 

髪の毛が、

 

ちりちりになったんだと思う。

 

周囲の言葉から自分のコンプレックスになっていった。。。

 

高校の時のあだ名が、

 

髪の毛が天パであったたため、

 

わかめであった

 

私もネタだと思って、

 

自分からも、これを、笑いに変えるようにはしていたが、

 

内心は天然パーマであることを気にしていた。

 

わかめであることが、自分にとってのアイデンティティではなく、

 

コンプレックスだったということを認識した瞬間だったんだと思う。

 

初めて、初めて、髪の毛に縮毛をかけた。

 

今まで、小学生の時までは、1000円カットですまし、

 

坊主で眼鏡だった、

 

中学、高校は、バリカンを使い、続けた。

 

私は、あえて、高校在学中ではなく、

 

大学入学式直前に、

 

初めて縮毛をかけた。

 

これが、私にとっての、人生においても、

 

大きな転換期になったと思う。

 

同じ野球部員で縮毛をかけたやつもおり、

 

そいつが失敗をしていたのを見ていて、

 

在学中に笑われるのを避けるために、

 

あえて、卒業後にやったのを覚えている。

 

美容室に行ったときに

 

自分も失敗するのかもしれない、

 

と、動悸が、鼓動が止まらなくて、

 

美容室で、恥ずかしながら、必死に

 

どうしようか、苦渋の決断をして、

 

『縮毛をかけてください。。。』

 

といった記憶がある。

 

 縮毛をかけたあとの未来は、、、

 

髪の毛を縮毛にして、新しい自分はまた違う自分になれたような気がした。

 

でも、最初は、そこそこ、似合うねという反応をもらうくらいで、

 

徐々に、髪の毛はチリチリになっていく。

 

そして、また、縮毛矯正をかけにいって、髪の毛はまっすぐにし、

 

またまた、髪の毛はちりちりになっていく

 

というサイクル。。。

 

縮毛をかける瞬間はなんか、自信がつくけども、

 

髪の毛がちりちりになる瞬間は自信がつかない、という、

 

一種の麻薬のような、そんな、

 

感覚だったのかもしれない。

 

たくさん経験する、ということは実は、今いる場所が一番ということに、いきつくための過程なのかもしれない。

 

いろいろな国を旅する。

 

たくさんの仕事を経験してみる。

 

たくさんの人たちとお付き合いしてみる。

 

いろいろな髪形にしてみる。

 

たくさんの経験をしてみたけど結局、、、

 

日本に住むのが良いな。

 

地元に帰るのが良いな。

 

最初に始めた仕事が自分にあってたな。

 

最初に付き合ってたような人が一番続いたな。

 

最初の髪形が、一番自分にあってたな。

 

と、たくさんの経験が、最初にいた場所が実は一番幸せだったな。

 

 と気づかせてくれるのかもしれない。

 

 だから、自分のいまいる場所に気づくためにも、

 

自分が責任をとれる範囲なら、

 

一度いろいろな経験をするのは、私はありだと思う。

 

だから、過去嫌いだった、自分の天パが、

 

まっすぐの人にはない、ものがあって、

 

そういう人たちの目線からみると、良い面もあって、

 

そんなことを、気づいていくのが自分は恵まれているのかな。と、

 

受容していくことなのかもしれない。

 

父よ、、髪の毛がちりちりで

 

ありがとう。。。感謝